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『TEXT.9』

 粛々とした空気の中、卒業生の名前が一人づつ呼ばれていく。
 読み上げるのは隣のクラスの担任。
 一クラス分を終え、次のクラス―――綾のクラスの担任へと声が変わる。
 綾の高校では一人づつに証書が手渡される。
『……組。相川哲』
 マイク越しの声はいつもと違って聴こえた。
 ダークグレーのスーツに、鮮やかなブルーグリーンのネクタイを締めた樹。
 朝のホームルームにその姿で現れたときは一斉に女生徒たちが色めいた。
 綾も思わずキリッとスーツを着こなした樹に見惚れながらも、寂しさも感じた。
 もう卒業なのだ、と。
 次々と名は呼ばれていき、綾は席をたち授与のための道順へと進んだ。
 一人、一人と授与が進み、樹が自分の名を読み上げる。
『広瀬綾』
 凛とした声に背筋を伸ばし校長の前へと進む。
「頑張ってください」
「ありがとうございます」
 一礼し受け取りステージから降りる。
 証書を手にし、席へと戻る中、少しだけ樹を見た。
 高校生活の3年間、ずっと見続けていた樹。
 当たり前のように三年に進学したときも担任だったときは、嬉しくもあり、もしかしたら策略かもと思い苦笑したこともあった。
 受験一色に染まっていった高校最後の一年間、樹はいつもどおりに軽く、だが真剣に生徒たちをサポートしていたと思う。
 あっという間の一年だったな……。
 目の奥がつんとし、綾は席につくとハンカチを握り締めた。
 式も中盤。講堂の中には微かにすすり泣く生徒たちの声が混じりはじめていた。










「春休み、遊びすぎるなよー」
 まるで卒業式の感慨などないような、いつものような軽い口調で樹が言った。
 高校生活最後のホームルームだ。
 教壇に立つ樹を見るのも本当に最後。
 目を潤ませた女生徒たちが熱心に樹に視線を送っている。
「一つの大きな節目だからな。高校と大学・就職は今までと違うからそれぞれ準備怠らないように」
 一転して真剣な声が響く。
「頑張れよ。お前たちならちゃんと自分の力で未来を切り開けるから」
 真摯な表情で樹が生徒たちを見回して言った。
 樹の言葉にすすり泣く声が漏れ出す。
 が、ふっと樹の表情が崩れ、
「なーんてな。教師っぽい"贈る言葉"でした」
 にやりと笑う。
 また元にもどったいつもの軽さに、生徒たちは泣き笑う。
 そこでチャイムが鳴り出した。
「じゃぁ、ホームルームはここまで。卒業おめでとう」
 樹の声が響いて、起立礼、と号令がかかる。
 着席、と学級員長の声とともに一気に教室内は浮き足立つ。
 このあとは校庭に作られた花道を歩き、学校を去るだけ。
 教室で過ごすのも本当に残りわずかだ。
 綾はそっと樹を見た。
 教卓のまわりにはクラスメイトたちが集まって樹とともに写真をとっている。
「綾〜。うちらも写真とろー」
 3年間同じクラスだった親友の実花が笑顔で駆け寄ってくる。
 手を引っ張られて教卓のほうへ行く。
「せんせー、花道のとこでも写真撮ってね〜!」
「私もー!」
「いいよ、めんどくさい」
「めんどくさいって、ひっどーい」
「卒業するんだよ〜!」
「わかったわかった」
 女生徒たちの非難の声に苦笑している樹。
 綾はこんな光景を見るのも最後なのだと不思議な思いで眺める。
「ほら、綾」
 割り込むように「次、私たちとねー」と実花が樹のそばに歩み寄る。
 樹の傍らに押し込むように実花が綾を寄せ、実花は綾の隣。
 触れるか触れないかくらいの近距離に綾は思わず緊張した。
「卒業おめでと」
 正面を向いたまま、樹が言った。
 不意にかけられた言葉に驚きながらも自然と顔が綻ぶ。
 ちょうど撮影を頼んだクラスメイトが「撮るぞー」と声をかけてきてシャッターが切られた。
「先生、元気でね〜」
 実花が笑って、「伊崎もな」と樹も笑う。
「広瀬も」
 一瞬目が合う。
「大学頑張れよ」
 教師の顔をした樹が優しく言った。
「はい」
 軽く頭を下げて、綾は実花に引っ張られて他のクラスメイトと写真を撮りに行った。
 そうして学校を出るまでのほんのひと時はあっという間に過ぎていったのだった。









 花道には涙を流して「綾せんぱいぃぃ〜!!」と泣くヒカルの姿があったり、校門前では見知った生徒会メンバーたちがいた。
 伊織の姿もあり、お互いに「おめでとう」と言い合った。
 生徒会メンバーとは夕方近くに集まって卒業祝を後輩たちがしてくれることになっている。
 あとで会うから、と今は挨拶だけして別れた。
 最後の最後になる校庭で記念撮影会がはじまる。
 いたるところで生徒たちが写真を撮っている。在校生の作った紙の花びらが舞っていて、校庭はいつになく活気に満ち溢れている。
 綾もほかの生徒たちと同じようにいろんな人たちと写真をとり、挨拶を交わした。
 涙はあるが、笑って笑って、みんなが笑顔で最後のひと時を過ごしている。
「そろそろ行こっか」
 小一時間ほど校庭で過ごし、それでも名残惜しさを感じながら実花と他の友人たちが校門へと向かいだす。
 このあとは仲のいい友人たちとランチをすることになっている。
 綾は「うん」と頷きながら後を追う。
 卒業式の立て看板が置かれた校門。
 そこを一歩でれば、もう終わり。
 門を一歩踏み出そうとしたところで、綾は立ち止まった。
 一瞬悩み、そして振り返る。
 ざっと見渡す。
 いないかもしれない―――。
 職員室に戻っているかもしれない―――。
 そう思いながら探し、見つけた。
 目が合った。
 見間違いかと思った。
 だが女生徒たちにひっきりなしに囲まれ写真を撮らせられている樹が、こちらを見ていた。
 思わず立ち尽くして視線を送ることしかできない綾に、樹が小さく笑ったように見えた。
 そうして樹が手を振った。
 ばいばい、というような軽い手振りだった。
「あーやー」
 実花の呼ぶ声にハッとし、「すぐ行く」と返事をしながら樹のほうに向かい軽く頭を下げた。
 顔を上げたときにはもう樹はこちらを見ていなく、女生徒たちへの対応に疲れ気味に笑っていた。
 それを見つめて、深呼吸一つして、綾は踵をかえし校門を出た。

「さようなら――、"先生"」

 卒業したのだと、一つの区切りをつけるため綾は呟き友人たちを急いで追いかけた。






***





 ランチを終え、そのあとカラオケも追加され、着替えのために一旦家に帰りついたのは夕方だった。
 綾の両親は卒業式に参列したあと夫婦水入らずのデートをしているらしい。
 昼も夜も綾は友人たちと過ごすことになっているから、家族揃っての卒業祝は明日することになっていた。
 生徒会の打ち上げまではまだ時間があったので、とりあえず着替えだけを済ませて綾はリビングでテレビを見ていた。
 テレビで流れているのは毎日あっているお昼のニュース番組。
 それを見ていると数時間前の卒業式がウソのようだ。
 卒業したという実感がいまいちわかない。
 もうあの教室で学ぶことはないのだ。
 そう考え、不意に教卓に立つ樹の姿が思い浮かぶ。
 目頭が熱くなり、こぼれそうになった涙を慌ててぬぐう。
 "あの日"から、待っていた一年。
 受験勉強に忙殺されて色恋など考えるゆとりもなかった一年だった。
 ただ毎日樹の姿を見れるだけで癒されていた。
「どうなるのかな」
 ぽつり呟きがこぼれた。
 無意識のうちの呟きに、綾自身驚いて口を押さえる。
 "あの日"のことは忘れていない。忘れるわけない。
 だがこうして"約束"の卒業を迎え、嬉しさと同じくらいに不安がある。
 あの学び舎をあとにし、同時に樹とも―――会えなくなるのではないか。
 めでたいはずの卒業なのに一人になったとたんなんともいえない苦しさが訪れた。
 綾はソファークッションに顔をうずめ、深いため息をついた。
 その時携帯電話が鳴り出した。見るとヒカルからの着信。
「綾せんぱ〜ぃ! 卒業おめでとうございますぅ!!」
 出たとたんにヒカルの元気一杯な声が響いた。
「ありがとう、ヒカルちゃん。どうしたの?」
 ヒカルの明るさに自然と笑みが零れる。
「綾先輩の声が聞きたくなったんですぅ〜!」
「もうすぐ打ち上げで会えるじゃない」
「そうなんですけどぉ〜。あー。その打ち上げなんですけどぉ、時間と場所変更になったんですー」
 メモいいですか〜?、とヒカルが聞いてくる。綾は電話台に置いてあるメモ用紙を取りヒカルが告げた場所を書いていった。
「あれ? この店って?」
「一宮君にお店頼んでたんですけどぉ、なんかイマイチだったんですよぉ。綾先輩を送る会にふさわしい場所に変更したんですぅ。私の知り合いのオジサマが経営しているお店なんですけどぉ。開始も7時からってちょっと遅くなっちゃってごめんなさいですぅ! でもほんと美味しいお店なんで楽しみにしててくださいねぇ」
 イマイチとは気の毒に、と一年の一宮の顔を思い出す。それに卒業祝だよね、と綾は思いながら苦笑だけしてあえて突っ込まずに「連絡、ありがとう」と言った。
「いえいえ〜。あ〜ぁ、もぉ……」
「どうしたの?」
「なんでもないですぅ。早く綾先輩に会いたいなぁとおもってぇ」
「もうすぐ会えるじゃない」
「そうですねぇ。じゃぁあとで!」
 卒業おめでとうございましたぁ〜!!、と再び大きな声で言ってヒカルは電話を切った。
 疾風のようだったヒカルの電話に気づけば先ほどまであった憂鬱さは消えている。
 元気を分けてもらった気分になり、綾は携帯電話を見つめて微笑んだ。
「まだ早いけど、出かけようかな」
 うん、と伸びをひとつして綾は家をあとにした。



   

 


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2009,3,31