7
雪が、降っていた。
指先も体も、足も、髪も、まつげさえも凍てつくように冷えきっていた。
かみ合わない歯を小さく鳴らしながら、ガサガサの手を少しでも温めようとこすり合わせる。
なにか残飯がないかともらいにきた酒場の裏口から、少女は暗い表情で表へと歩く。
今日も何の具もはいっていないスープが待っている。
やせ細った足で、ふらふらと少女は家路へつく。
ガタン――――。
少し離れたところで一台の馬車が止まった。
そしてゆっくりと馬車が後退してくると、少女の目の前にきた。
『こんなにも寒い夜になにをしているんだい?』
馬車の中から男が話し掛けてきた。
『ごはん……探してたの』
『お腹がすいてるのかい』
『うん』
『そうか。よかったら、私と一緒に食べないか? 美味しい料理がたくさんあるよ』
もし来るのだったら――――これもあげるよ。
そう言って、男は馬車の窓から手を出した。
暗く降り積もった雪の中に―――――金貨がゆっくりと落ちた。
「あたしは子供じゃないっ!!」
ハーヴィスの上に馬乗りになり、マリアーヌは叫んだ。
グッとハーヴィスの襟元をつかむ。
「この前、13にもなったし、あたしは11からずっと、この身体で稼いできたんだ!」
自分にはただただひたすらに働いて、パンをようやく買えるくらいの賃金しか稼ぐことしかできないと、思っていた。
あの、冬の夜までは。
でも、違っていたのだ。
たくさんの男達がいる。
その中にはまだ幼かった、あの時の自分でも買いたいというような酔狂な男がいると知ったのだ。
そうして、あの日よりもわずかに肉もつき、そしてふくよかさをました身体。
まだ成長段階だから幼さは残る。だがそれでも2年続けてきた仕事のおかげで、普通よりも成熟している。
柔らかな線を描く乳房も、すっきりとくびれた腰も、長く細い足も。
本当の歳を言えば驚かれるほどだ。
ぐっと唇をかみ締め、マリアーヌはハーヴィスを睨む。
そして、ハーヴィスに口付けた。ねじこむように、舌をいれる。
夢中に、いや必死になってハーヴィスの口内を犯す。
互いの唾液が入り混じり、マリアーヌの唇から荒い吐息がこぼれる。
しばしして、ゆっくりと唇を離し、マリアーヌはまぶたをあげた。
途端に、ハーヴィスの静かな眼差しとぶつかる。
あくまで平静さを漂わせているハーヴィスの表情に、マリアーヌは恥ずかしさとともに苛立たしさを感じた。
そっと、ハーヴィスの手が伸びマリアーヌの頬に触れた。
暖かな手。
マリアーヌはその暖かさが苦痛であるかのように顔を歪ませる。
「マリー。悪かった。君はとても素敵な女性だよ」
そんな言葉を聴きたいのではない。
「あのね、マリー? 君にとっては不本意な状況かもしれない。でもね、カテリアの世話は誰にでも任せられるものではないんだ。カテリアは本当に――――人間嫌いでね」
強張っているマリアーヌにやさしくハーヴィスは話しかける。
「君がくるまでカテリアは僕以外のそばによりつかなかった。いや、僕以外はカテリアのそばに近づくことも許されないんだよ」
君が来るまで、僕が実質カテリアの世話係だったんだ。
ハーヴィスはそう言って小さく笑った。
「だからカテリアが君を気に入ったっていうことはね、僕にとっても驚くことだったんだ。だから、君に世話係をしてもらうことにしたんだよ」
ハーヴィスの指がマリアーヌのやわらかな頬を撫ぜる。
マリアーヌはハーヴィスの指から逃れるように顔を背け、そして再び唇が触れそうなほどに顔を寄せた。
「…………わかった。でもあんたはあたしを買ったんだから」
だから、好きにしていいんだよ。
マリアーヌは、じっとハーヴィスを見つめ囁いた。
ハーヴィスが目を細め手を伸ばす。両手で包み込むようにマリアーヌの頬に触れる。
「君は………なにを不安がっているんだい?」
ハーヴィスの口から出た言葉は、マリアーヌの望むものではなかった。
ハーヴィスの暖かな手のひらと、穏やかな眼差し。
そのすべてが―――――嫌、だ。
なぜ暖かいのか。
"あの手"はあんなにも冷たかったのに。
冷え切って、乾燥しひび割れていた皺だらけの手。
"あの手"が優しく頬に触れたことなどない。
一日一日を食いつないで、静かに生きることだけで精一杯だった日々。
冷たい、冷たい、冷たい――――。
だから、
少しでも暖かくなるように、
少しでも美味しいものが食べれるように、
金貨を、もらってきたのに。
まだ誰にも開いたことのなかった、幼い身体で、金貨を稼いできたのに。
"あの手"がくれたのは、優しさではなく、蔑みだった。
『なんて汚らしい!! お前はなにをしたかわかっているの!?』
お金持ちだったよ。
たくさんご馳走を食べさせてくれたの。
ほら、金貨だってこんなにたくさん………。
飛んできたのは平手。
ガサガサの母親の冷たい手が激しく頬をぶつ。
『恐ろしい! なんてこと! 汚らしい!!』
罵り、何度も何度もぶたれた。
でも、お母さん。金貨だよ。
パンが買えるよ?
母親はまるで獣でも見るかのような眼差しを向ける。
だが、次の日、金貨で買ってきたパンと食材がテーブルにのった。
だから、また、少女は身を売ったのだ。
そのたびに、母親からぶたれながら。
冷たい手。
なぜ母親がぶったのか、たたいたのか、わからない。
生きるためだったのに。
お母さん。
お誕生日おめでとう。
稼いだお金を貯めて、ひざ掛けを買ってプレゼントした。
そしてその日、母親は少女の首をしめた。
冷たい手。
暖かな手。
「君は"オセ"を知っているかい? オセというのはね、豹の姿をした地獄の大総統なんだよ」
苦痛を受けているかのように強張っているマリアーヌに、突然ハーヴィスが言った。
「オセは人に狂気や妄想を与えるんだ。
そして――――人を望みどおりの姿に変える力も、もっている」
それが、なんだというのだ。
「君は、何を望む?」
マリアーヌの頬を包んでいた手が、肩から腕へと流れる。
次の瞬間、マリアーヌとハーヴィスの位置は逆転していた。
床を背にしたマリアーヌに、ハーヴィスが馬乗りになっている。
ハーヴィスはふっと口元に笑みを浮かべた。
マリアーヌの唇を指先でそっと撫ぜる。
「君はここで変わるんだ。なにも怖がることはない」
なにを言っているのかわからない。
なにも怖がっていない。
そう、思うが、なにも言うことができなかった。
ハーヴィスは微笑むと、マリアーヌの額に口付けた。
イヤ――――。
暖かい手で触らないで。
掠れる声で、小さく小さく呟かれた言葉がハーヴィスに届いたかはわからない。
ハーヴィスはマリアーヌを見つめる。
そして、本当に風邪をひいてしまうよ、と言いながらマリアーヌを抱き起こすとお湯へとつからせた。
「ゆっくり温まるんだよ」
マリアーヌに微笑みかけると、ハーヴィスはカテリアを連れて浴室を出て行った。
戸の閉じる音を聞きながら、マリアーヌはぎゅっと自分を抱きしめるように身を丸めた。
漂う薔薇の香りが、ひどく不快だった。
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2005,12,12
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