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 華やかで楽しげな笑い声が響いている。
 いとろとりどりのドレスを身にまとった女性たちの輪の中にマリアーヌはいた。
 ローランドは男だけの集まりに引き込まれ、そしてマリアーヌもまた女だけの中にいる。
「ほんとうに、あの方は―――……」
 鈴の転がるような声で囁きあっている内容は―――社交界の噂話に終始している。
 マリアーヌにとってしてみればいったい何が楽しいのか理解に苦しむものでしかない。
 だが、その噂話もまたオセの家にとって有益である場合があるため笑顔を絶やさず、すべてに耳を澄ませて聞いていた。
「大丈夫? マリアーヌ」
 小声でそっと窺ってきたのは隣に座るロデス子爵夫人のクラリッサ。
 彼女はローランドの姉であり、マリアーヌへと社交界のしきたりなどを教えてくれていたリネットの親友である。社交界の場に溶け込むため、リネットとそしてクラリッサが夜会などではともにいてくれるようになっていた。
 彼女は美目がよく、人気があり取り巻きも多い。もちろんクラリッサの親友がリネットだということもあるのだろうが。
 その彼女が″お気に入り″と称し、マリアーヌを傍に置いている。おかげでマリアーヌは直接的な噂話の的とならずに済んでいるのだ。
 もしクラリッサが傍におらず、リネットの後ろ盾がなければ、どんな好奇の目にさらされ噂されるかわかったものではない。
 それもすべて―――マリアーヌがいま社交界に置いて興味を引く存在であるからだ。
 名門貴族であるニュールウェズ公の息子であるローランドと″遠縁″であるマリアーヌ。
 そしてたんなる“遠縁”ではなく、ローランドがお熱を上げている“田舎娘”と噂されていた。
「ええ。大丈夫です。ただもうしばらくしてから化粧室に行ってもよろしいですか?」
「もちろんよ」
 一回り以上離れたマリアーヌにクラリッサはとても優しい。″お気に入り″という建前でなく″妹″のようによくしてくれていた。
 それから下品ともとれる噂話に辟易したころ、
「失礼します」
と、クラリッサと取り巻きたちに断りを入れ、化粧室へと向かった。
 幸い化粧室には誰もおらず、マリアーヌはそっとため息をつく。
 もう何度と夜会などへ顔をだしてはいるがいまだに慣れることはない。
 飛び交う噂話、自慢、中傷、きつい香水の香り、仮面のような笑み―――。
 それらに触れるたびに、疲労感が襲い、酸欠状態になってしまう気がする。
 マリアーヌは再びため息をつき、磨き上げられた鏡の中の自分をぼんやり眺める。
 広間にいる貴婦人たちとなんら大差なく着飾れた自分自身。
 まぎれもなく自分なのに、まるで人形のように見えてしまう。
 そしてまた再三のため息をつき、マリアーヌは化粧室を出た。
 広間へと戻る前に少し外の空気を吸いたい。
 そう思って庭園へと続く扉を見つめた。
 少しならば大丈夫だろう、とそちらへ足を進めたのだった。
 まさか、この小さな休息が―――転機となることも知らずに。









 外の空気は少し湿気を含んで生温い。
 だがマリアーヌにとっては夜会の雰囲気よりも落ち着くものだ。
 手入れの行き届いた階下の庭園に視線を走らせる。
 闇夜に屋敷の明るい光が、うす暗くあたりを照らしている。
 庭園へと続く階段のそばにあるベンチにマリアーヌは腰かけた。
 屋敷の中からは音楽が漏れ聞こえているが、それは邪魔ではなく心地よい程度だ。
 ようやく一息つけたことにマリアーヌはほっと頬を緩めた。
「おや―――先客か」
 だが、その安息は瞬く間に消え失せた。
 張りのあるよく通る、だが決して大きいわけでない声。やや低く渋みのある声が、マリアーヌにかけられたのだ。
 振り向いたマリアーヌの目に映ったのは、薄い笑みを浮かべた男だった。
 40代前半か半ばくらいだろうか。シルバーブロンドの髪、彫像のような容姿。若いころであれば美しい青年だったろうことを思わせるものがある。
 そして圧倒的な威圧感。鋭い眼光がマリアーヌに向けられている。
 ただの上流階級の人間ではない、上に立つ者のオーラをマリアーヌは感じた。
「……華やかな熱気にあてられてしまい、宵の風に涼んでおりました」
 緊張を隠し、マリアーヌは男に視線を止め、艶やかな笑みを浮かべる。
 男は目を眇めマリアーヌの目前まで歩いてくると、骨ばった長い指でマリアーヌの顎を持ち上げた。
「見ない顔だな。中の女どもとは毛並みが違うようだが」
 鮮やかなサファイアブルーの瞳が射抜くようにマリアーヌを見据える。
「毛並み、ですか? おそらくそれは私が田舎の野兎のようなものだからではないでしょうか?」
「野兎?」
 マリアーヌの言葉に、おかしそうに男が笑う。
「野兎には見えんな。元はそうかもしれんが―――」
 顎を掴んでいた手を離し、男はマリアーヌの隣に腰を下ろし、横になった。
 驚きに身体が強張りそうになるのを押さえマリアーヌは自分の膝の上に頭を乗せた男を微笑んだまま見下ろす。
「お疲れなのですか?」
「ああ。阿呆ばかりで困る」
「まぁ、それは大変でございますね」
 男は目を閉じている。初対面で間違いないはずの相手に、膝枕をさせ休むなどマリアーヌにとっては信じがたい。いや、普通に考えてもないだろう。
 この男は―――。
「年はいくつだ」
「16です」
「なるほど、肌が若いわけだ」
 目は閉じたまま、男は口角を上げる。
「ありがとうございます」
 礼を言う必要があるのか疑問に思うが、とりあえず言い、内心ため息をつく。
 一体この状況どうすればいいのだろうか。
 あまり戻るのが遅くなればクラリッサが心配するかもしれない。そうなればローランドに自分がいなくなったことを言う確率も高い。
 手数をかけることは極力したくない。
 もうしばらくだけこの男に付き合い、とりあえず中に戻らねば。
 いや、だが―――もしこの男が―――。
「女は馬鹿が一番だぞ」
 思考を中断するように男の声が響く。
 見下ろせば男はまぶたを上げマリアーヌを見上げている。
「馬鹿……ですか?」
 急な言葉に理解が及ばず苦笑すると、男は小さく喉を鳴らす。
「そうだ。深く考えたところで女は答えをだしても考え続ける。なにも考えずにいるのが一番ということだ」
 考え込んでいるのを察したからの言葉なのか。そう言う男にマリアーヌは笑みを保ちつつもわずかに眉を寄せた。
「……なにも考えず―――殿方の飾りでいるべきだとおっしゃられているのですか?」
 男はマリアーヌの膝の上から身を起こし、背もたれにもたれかかった。
「″可愛い″女とはそんなものだろう」
「″その程度″の女性しかお傍にいらっしゃらないのですか?」
 なにも考えず―――無知でただ男に従えと言っているのだろうか。
 もしこのと男が、例の、と考えれば黙って話をあわせたほうがいいのかもしれない。
 だが挑発するようにマリアーヌは言葉を紡いでいた。




 




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2010,2,28