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 マリアーヌが座るソファーのそばのテーブルには色鮮やかな花が活けられている。
 マーガレットを初めとした爽やかな花たち。
 派手すぎず楚々としたそれは、マリアーヌが読んでいる手紙の送り主―――ローランドからのものだった。
 美味しい紅茶を淹れていただいたお礼に、とメッセージが添えられ花束が贈られてきたのはつい3日前、二人で談話をした翌日のことだ。
 今日届いた手紙は翌週の休日にでもピクニックへどうかという誘いだった。
 クラレンス家の所用する領地へ出かけ、そこで乗馬の練習もしようと書かれている。
 社交辞令だと思っていたが、本当に誘ってくるとは考えもしていなかった。
 改めてローランドの誠実さ真っ直ぐさを感じ、マリアーヌは笑みを禁じえなかった。








「でも、このお誘い受けていいのかしら?」
 読み終えた手紙を持って、やってきたのはハーヴィスの執務室。
 ローランドの誘いはマリアーヌ個人へのものというのは確かだ。
 だが相手は、このオセと最も関わりのあるクラレンスの息子なのだ。
 ローランドの気持ちは嬉しいが、立場があまりにも違う自分が安々とローランドの誘いを受けるのは出来ないように思える。
 だが、ハーヴィスは手紙に視線を走らせると、あっさり言った。
「行ってくればいいよ」
 何事もないかのような口調に、マリアーヌはため息ひとつつき、懸念を口にする。
「でも……、ローランド様は公爵家の子息なのよ? 私などが一緒にいて、おかしな噂が広がりでもしたら。それにクラレンス様も……」
「だが、お誘いを受けたのに断れる立場でもないだろう?」
 やんわりと遮られて、マリアーヌは言葉を詰まらせた。
 確かにそうなのだ。
 受けても受けなくても、問題はある。
 だが、はやり断ったほうが懸命のような気がした。
 たとえオセ以外で会うことが今回限りのものだとしても、このオセで働く自分が行動をともにするのはよくないだろう、と。
「そんなに気にすることはないさ。僕だってたまに社交の場に顔を出すことはあるしね」
 ハーヴィスは笑いながらマリアーヌを見上げる。
 ゆったりと椅子にもたれかかり、いつものように昼間からワイングラスを手にしているハーヴィスを見つめて、「でも……」とマリアーヌはまた渋る言葉を口にする。
「クラレンス様もなにも言わないさ。ローランド様をオセに連れてこられた時点で……」
 言いかけて、ふとハーヴィスは言葉を止めた。その先を続ける代わりにワインを飲む。
「……まぁ、ローランド様だって断られたらそれこそ落ち込まれるだろうからね。深く考えずに楽しんでくればいいよ」
 ハーヴィスの言葉に、マリアーヌはローランドを思い出す。
 優しく人の良い良家の子息。人を疑うことも知らなさそうな彼が落ち込んでいる姿は簡単に想像でき、思わず苦笑をもらした。
「身分が気になるのなら、それも心配ないよ」
 テーブルの引出しから若干厚い書類を取り出し、ハーヴィスが差し出した。
「そろそろ言っておこうと思っていたけど、今後オセから出て外出するとき――必要がある場合にはマリアーヌ・ベレスフォードと、名乗るように」
「ベレスフォード?」
 聞いたことのあるようなないような名だった。
「ニュールウェズ家の遠縁にあたる地方貴族の家名だよ」
 それならば家系図で見たことがあるのだろう。
 だがそれにしても、とマリアーヌは首を傾げる。
「ローランド様と行動をともにするのならば、ある程度の身分は必要だからね。 べレスフォードは、子爵家だよ。ちなみに現在の子爵は僕だから」
「えっ? ハーヴィス、子爵だったの?」
 思いがけない事実にマリアーヌは呆気にとられたように目をしばたたかせた。
「ニュールウェズ家とも縁続きだったの」
 驚きのままに言うと、ハーヴィスが声をたてて笑う。
「僕は平民だよ。ただの商人の息子さ」
 その言葉に、怪訝そうにマリアーヌは再び首を傾げた。
「マリーに名乗るように言っているのと同じ理由さ。社交の場に行くことは少ないが、身分をもっていたほうが何かと便利だからね。すでに没落しかけ、家系も終わりかけていた子爵家の名を借りたんだよ」
「そうだったの」
 マリアーヌはようやく納得がいき、手元の書類に視線を落とした。
 分厚い書類の中は、子爵家の家系図、歴史などが詳細に記されている。
「マリーは年の離れた僕の妹ということになる」
「妹?」
「まだ子持ちにはなりたくないからね。不服かい?」
 おどけたように首を傾げるハーヴィス。
 マリアーヌはにっこり笑みを作り、「とんでもございません」と首を横に振った。
 わざとらしいなぁ、とハーヴィスが目を細める。
「まぁ、そういうことだから。気にすることなく、ローランド様のお誘いを受けるといい」
「わかりました」
「子爵令嬢としての立ち居振舞いを頼むよ、マリー」
 からかうように言われ、頷く変わりにマリアーヌは優雅にドレスの裾を持ち上げ礼をした。












 約束の休日、ローランドは朝早く馬車で迎えにきた。
 ハーヴィスに見送られ、郊外へ2時間ほど走ったところにあるクラレンス家の領地に向かう。
 何故か緊張している様子のローランドに、マリアーヌは昨夜作ったクッキーを差し出した。
「お口に合うかわかりませんけど」
 ローランドは目をしばたたかせて、クッキーを見つめている。
「マリーが作られたのですか?」
「はい」
 にっこり頷くと、ローランドは顔を輝かせ頬を緩めた。
 ご馳走になります、そうローランドが一口頬張った。
「美味しいです!」
 勢い込んで言うローランドに、マリアーヌは口元に手をあて、たまらず笑ってしまった。
 恥かしそうに視線を泳がせるローランド。
「たくさんお召し上がりくださいね。ローランド様に喜んでいただけるだけで、私も嬉しいですから」
「……はい」
 視線があって、互いに微笑み合う。
 それからクッキーを食べながら話しているうちにすっかりと打ち解けることができた。
 そうして到着した領地は公爵家のものということもあって、想像以上に広大だった。
 屋敷も大きく、美しくデザインされた庭園にマリアーヌは思わず感嘆してしまう。
 それと同時に、あまりの身分の違いを感じずにはいられず内心気後れしそうになる。
「私の愛馬を紹介します」
 満面の笑みを浮かべ、楽しそうに厩舎へ案内するローランドが側にいてくれてマリアーヌはそれだけで少しホッとしていた。
「ラディーン」
 ローランドの愛馬は美しい黒毛の馬だった。
 良く手入れがされている艶やかな毛並みと、しなやかさをと力強さを感じさせる筋肉。
 ローランドに名を呼ばれ、嬉しそうにいなないている。
「……触ってよろしいですか?」
 おずおずとマリアーヌは聞いた。
 一瞬ローランドはきょとんとして、すぐに笑顔で頷く。
 馬のいる生活は日常的であるし、触れることも少なくない。
 だが穏やかな瞳で自分を見つめてくるラディーンがとても愛らしく、マリアーヌはドキドキしながらその背に触れた。
 なめらかで、まるでシルクにでも触れているような毛並みだ。
 ゆっくりと触れていると、ラディーンがくすぐったそうに鼻をマリアーヌに寄せる。
「なんて綺麗なんでしょう」
 そう言ってマリアーヌが頬を寄せると、ラディーンも小さくいななく。
「気に入ってもらえたようですね」
 嬉しそうなローランドの声に、マリアーヌも笑顔で頷いた。
 それから二人はラディーンを連れて、敷地の裏にある草原へと向かった。
 ローランドは最近フランスで新しく作られたばかりの女性用のサドルを用意しており、マリアーヌは恐縮しつつラディーンに乗った。
 とても従順なラディーンと、いろいろなアドバイスをしながら、ゆっくりと誘導してくれるローランドとともに昼過ぎまで乗馬を楽しんだのだった。









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2007,3,11