35
いつものように墓地へ行った帰りだった。
マリアーヌは散歩がてらに歩いて墓地へ行くようにしている。
ゆったりとオセへの帰り道を歩いていると、一台の馬車が前方で止まった。
気にせずに歩いていると、
「マリアーヌ様」
馬車の戸が開き、呼びかけられた。
怪訝に見上げると、一人の青年が馬車から降りてきた。
闇のような黒髪と、反するように鮮やかなサファイアのような瞳。
マリアーヌは青年を見つめ、次の瞬間自然と顔をほころばせて駆け寄る。
「エリック!」
嬉しそうなマリアーヌの声に、エリックもまた頬を緩ませ、頭を下げた。
「お久しぶりです、マリアーヌ様」
硬質な印象を受ける整った顔立ち。他を寄せ付けないような雰囲気をまとってはいるが、浮かべた微笑は柔らかい。
「久しぶりね! 2ヶ月ぶりくらいかしら?」
エリックはいろいろな土地に赴き、珍しいもの、顧客が望むものを手に入れてくるのが仕事だ。
長くて半年くらい帰らないこともあるそうだが、最近では2ヶ月に1度ほどは戻ってきている。
一見近寄りがたく思えるが青年だが、喋ってみると控えめで思慮深い性格をしていることがわかった。
そしてオセへ帰ってくるたびに、いつもなにか珍しい土産を持ってきてくれる。
「ええ、それくらいになりますね。マリアーヌ様はおかわりございませんか?」
心配げな光を瞳に宿し、問うエリックにマリアーヌは笑顔で頷く。
「相変わらず元気です。エリックも怪我とか病気とかしていない?」
同じオセで働くもの同士なのだから、マリアーヌが敬語を使われるいわれはないのにエリックは出会ったときから姿勢を崩さない。
マリアーヌと呼んで、と言ったこともあるが、シェアや他の使用人の例もあるので、マリアーヌはもう気にしないことにしていた。
「はい、私は頑丈ですので」
エリックが至極真面目に頷く。
マリアーヌは思わず吹き出した。
「どうかされましたか?」
不思議そうに訊いてくるエリックに、「なんでもないの」と笑いを沈める。
エリックは不思議そうにしながら、馬車へとマリアーヌを促す。質素な馬車は大きく揺れ、走り出した。
「今度はどこへ行ってきたの?」
「インドへ行ってまいりました。―――お土産にまだ輸入されていない茶葉を持ってまいりました」
「まぁ本当に? 嬉しい」
言葉そのまま、大きな笑顔をエリックに向ける。
「お気に召していただけるといいのですが」
「きっと美味しいに決まってるわ。エリックのお土産はいつも素敵だもの」
言いながらマリアーヌは、ふと目をしばたかせた。
「そうだわ。美味しい紅茶には美味しいお菓子よね?」
寄り道してもいいかしら、とエリックを覗き込む。
エリックは一瞬怪訝にするも、すぐに微笑んだ。
「もちろんです」
そうして馬車はオセへ着く手前でUターンすると、マリアーヌの指定した店へと向かった。
よく利用している菓子店で数種類選んでいく。
ハーヴィスに甘さ控えめのタルトを、カテリアにフルーツケーキを、自分用にパイとタルトを。
エリックは甘いものが苦手だと遠慮したが、せっかくだからとマリアーヌが勝手に選んだ。
包んでもらったお菓子をエリックが持ち、店を後にする。
まだ味わったことのない新しい紅茶と、美味しいお菓子。それだけで浮き足立つように楽しい。
馬車へと向かっていたとき、どこかで驚いたような声があがった。
エリックと談笑していたマリアーヌは、何気なく視線を転じる。
一台の馬車が通り過ぎていき、その窓から若い男が身を乗り出していた。
どうかしたのだろうか、と思ったのはほんの一瞬。
エリックに促されてマリアーヌは馬車に乗り込んだ。だが、エリックはなぜか乗り込まず通りを見ている。
「どうかしたの、エリック?」
エリックは我に返ったようにマリアーヌを見、馬車に乗った。
「――――いえ」
そう答ながらもエリックは「あの方は……」と呟いていた。
「知り合いでもいたの?」
怪訝そうに訊くと、エリックもまた怪訝な表情でマリアーヌを伺うように見た。
「……なんでもありません」
ややしてエリックは静かに笑んだ。
沸騰したお湯をティーポットに注ぎ込む。柔らかな湯気とともにほのかに立ち上る優しい香り。
ポットの中ではゆるゆると茶葉が広がっていっている。
「すごくいい香り」
ティーコジーをポットにかぶせながら、マリアーヌは頬を緩めた。
ニャァ、と賛同するようにマリアーヌの傍らに座ったカテリアが声を上げる。
「しっかりした味をしているのでミルクを入れても美味しいですよ」
向かいに座ったエリックが小さく笑む。
「僕はホットワインティーがいいな」
そしてハーヴィスもまたにっこりと笑みをマリアーヌに向けた。
エリックにたいして「最後はミルクティーにしましょう」と言っていたマリアーヌだが、ハーヴィスには軽く冷たい視線だけを向ける。その視線を受け、首を竦めるハーヴィス。
金色の砂の砂時計がさらさらと零れ落ちていく。
「初めての紅茶、すごく楽しみね」
マリアーヌは嬉しそうにティーカップの用意をする。
テーブルの上にはマリアーヌが買ってきたお菓子がそれぞれきれいに盛り付けてある。
やがて砂時計の砂が落ちきり、マリアーヌは紅茶を注いでいった。
カテリア用に半分ミルクで割ったものを作ってあげる。
そしてそれぞれティーカップを口元へと運んだ。
濃い赤色のアッサム地方で量産中だというお茶は、エリックのいうとおりにしっかりとした味わいとコクがある。
「すごく美味しい! ほんとうにミルクを入れたら合いそう」
頬を緩めて、マリアーヌはゆっくりと紅茶を味わった。
「そうだね。まぁたまには甘い紅茶もいいかな」
と、ハーヴィスも微笑した。
それからお菓子を食べつつ、しばし談笑した。
あまり饒舌ではないエリックに、マリアーヌは旅先でのことのを聞いたりした。
近場への旅ならしたことがあるが、異国へ足を伸ばしたことなどない。船に乗って海へ出たこともない。
エリックが帰ってくるたびに聞かせてもらう旅の話は、マリアーヌにとって夢のようで、とても楽しく面白いものだった。
「―――懐かしいな」
ふと、ハーヴィスが呟いた。
なにが?、とマリアーヌが聞くと、ハーヴィスは微笑した。その視線がマリアーヌの膝の上で丸まっているカテリアで止まった。
「昔僕もエリーザとカテリアについていろんな国を回っていた時期があったんだ」
「そうなの? 周遊?」
ソファにゆったりともたれかかり足を組んだハーヴィスは目を細める。
「……そんなものかな」
「楽しかったでしょう?」
カテリアの喉元を撫でながら、少し羨ましそうにマリアーヌが笑いかける。
「まぁね」
ハーヴィスは紅茶を味わうようにそっと目を伏せた呟いた。
そんなハーヴィスにカテリアがちらり視線を向ける。そして小さく喉を鳴らした。
マリアーヌは書物や話でしか聞いたことのない、見知らぬ土地を想像しながら、もう何杯目かの紅茶をゆっくり味わったのだった。
お茶会はいつしか仕事の話を交え、夕刻まで続いた。それからカテリアの世話をし、マリアーヌはハーヴィスの執務室で書類の整理をしていた。
エリックと仕事の話をしていたハーヴィスが、しばらくして執務室にやってきた。
細々と動いていたマリアーヌは視線を感じ、振り向く。
椅子に座ったハーヴィスが、マリアーヌを不思議そうな面持ちでじっと見つめていた。
「どうかしたの?」
きょとんとして小首を傾げる。
ハーヴィスは、答えるでなく、小さな笑みを浮かべながら質問を返した。
「マリー、君―――ローランド様を知ってるのかい?」
「……ローランド様」
聞き覚えのない名前にさらに首を傾げる。
だがなにか意識に引っかかる。実際に面識がある人物にその名がいないことは確かだ。
しかし、どこかで聞いたことはあるような気がした。
マリアーヌは逡巡し、目をしばたたかせた。
「クラレンス様の一番末のご子息のこと? ハリス先生から家系のことは聞いていたし、リネット様から弟君のことを聞いた記憶があるわ」
クラレンスには男女合わせて6人の子供がいる。その一番下の息子の名前がローランドだったような気がした。
それは合っていたらしく、ハーヴィスが頷きながらもさらに問いかけてくる。
「会ったことは?」
「ないと思うけど。だってオセにいらしたことないでしょう? なぜ?」
クラレンスの一族がすべてオセの家のことを知っているわけではない。オセへ実際に出入りしているのは娘のリネットと、長兄のアレックスが来るくらいだ。
「そうだね……。それじゃあエリックの言ってたとおり気のせいなのかな」
ハーヴィスは興味が失せたように、呟く。
「そのローランド様がどうかしたの?」
「いや、別に。……ああ、そう言えばクラレンス様がローランド様を―――」
その時、静かに扉が叩かれステファン入ってきた。
クラレンスの来訪が告げられる。
話は中断されたまま、マリアーヌはハーヴィスとともにクラレンスを出迎えに向かった。
外はようやく闇の帳が降り始めたころだ。いつもならクラレンスはもっと夜更けに来ることが多い。
ちょうど二人がオセの裏口へつくと、馬車から降りてくるところだった。
クラレンスの横に一人、オセのものではない男性がいる。
ハーヴィスは目を細め「あれは……」と呟いた。
クラレンスはその男性と談笑しながらやってくる。
近づいてくるにつれ、その男性がまだ年若いことがわかった。
すっとハーヴィスが前へ出る。マリアーヌもそのあとに続く。
「いらっしゃいませ」
にこやかにハーヴィスが挨拶をし、マリアーヌもまた深く頭をたれた。
そして、顔を上げ、マリアーヌはクラレンスと、その隣にいる青年を見た。
ランプと、屋敷からこぼれる灯りと、外の暗さ。
柔らかな明暗滲ませた光の中で、マリアーヌは青年と目が合った。
笑みを刻んでいた青年の表情が、驚きに変わる。
「――――貴女は」
目を見開いた青年の言葉と、向けられた視線に、マリアーヌは知り合いでもいたのかと思わず後ろを振り返った。
それが自分に向けられたものだと気づくのにしばらくの時間を有したのだった。
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2006,9,14
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