15





「クラレンス様はこのオセの家を開いたエリーザの兄上でいらっしゃるんだ。そ して今はオセを経営していくにあたっていろいろとご協力いただいている」
 ハーヴィスの紹介にマリアーヌは改めて目の前に座るニュールウェズ公爵クラレンスを見た。
 広い敷地と屋敷を有し、顧客は貴族や高官ばかり。
 だが裏に筆頭公爵であるニュールウェズがいるとわかれば、納得もいった。
 だが、それにしても、とマリアーヌは内心重いため息をつく。
 カテリアの世話係でしかない自分がここに一緒にいていいのだろうか、そう思ってしまう。
 当たり前のようにハーヴィスに座るよう言われてしまい、カテリアを乗せて会話に相槌を打つことくらいしかできない。
 エリックは入り口のところで立っている。
「ところで―――マリアーヌ、歳はいくつかな?」
 シャンパンを一飲みしたクラレンスが訊いてきた。
「14歳になります」
 マリアーヌは緊張に引き攣りそうになるのを必死でこらえて笑顔で答える。
 クラレンスは目を細めた。
「そうかまだ14歳か。歳のわりにはずいぶんとしっかりしているな」
 クラレンスの微笑みは暖かみのあるものだった。
 マリアーヌには父親や祖父母の思い出はまったくない。物心ついたときから母親と二人だった。
 だからクラレンスの笑みをみて思い出すのは親切にしてくれていた近所の老夫婦のことだった。
「マリーはとても飲み込みが早くて、わずか1年でいろいろな仕事を覚えてくれましたよ」
 ハーヴィスの言葉にクラレンスは頷く。
「そうか。―――仕事は楽しいかい?」
 いつしか緊張はとけていった。マリアーヌは笑顔で返事をした。
「だがあまり無理をすることはないぞ。まだ君は14歳だ、ここの仕事は辛いこともあるからな。それに彼が君より2つ上の16歳のときを思えば、いまの君は完璧だよ」
 クラレンスの気遣いを嬉しく思いながらも、マリアーヌは怪訝にする。
 と、クラレンスが笑いながらハーヴィスに視線を流す。
 つられてマリアーヌも見ると、ハーヴィスが苦笑していた。
「そうでしたか? あの頃は必死で勉強していたんですけどね。たぶん」
 ずいぶん昔のことだから記憶が定かではないですが、とさりげなく視線を逸らしている。
 彼、とはハーヴィスのことなのか。
 マリアーヌは若かりし日のハーヴィスが勉強している姿を想像してみて、思わず吹き出した。
「なんだい、マリー」
 ハーヴィスが不服そうにマリアーヌを微かに睨む。
 なんでもございません、とマリアーヌは澄まして首を振った。
 そんな二人の様子をクラレンスが穏やかな眼差しで眺めている。
「……エリーザも君に会いたかっただろうな」
 ぽつりとクラレンスが呟いた。
 マリアーヌが顔を向け、クラレンスと目が合う。
「エリーザも可愛い女の子が欲しいと言っていましたからね」
 笑いながらハーヴィスが相槌を打つ。
 話の内容がわからず、マリアーヌは曖昧な笑みを浮かべた。
 エリーザ、名前だけならば何度か聞いたことはある。
 だがどんな女性だったのか、マリアーヌはまったく知らなかった。
「カテリアが人に気を許すというのは本当に稀なことなのだ。だから、きっと妹もカテリアが気に入った君と話がしたかっただろうと思ってね」
 戸惑っていたマリアーヌにクラレンスはそう説明した。
 マリアーヌがちらりカテリアに視線を向けると、興味なさ気に目を閉じている。
 つんと額を指で突くと、物憂げにカテリアは首を振った。
「女王の世話は大変だろうが、頑張ってくれ」
 クラレンスが大きく笑う。
 そしてそれからとりとめのない談話が続いた。
 しばらくしてハーヴィスが大広間を見た。
 パーティが始まって小一時間ほど。招待客たちは大広間から続く別室に用意された料理を食べにいったり、談笑したりしている。そして目の前の広間では軽やかにダンスを楽しむ姿があった。
「そうそう、あそこに居るのが今ナンバーワンのエメリナです」
 ハーヴィスが大広間を指差した。
 オセの家の支配人マローにエスコートされたエメリナ、そしてシェリーがイアンとイーノスの手を引いている。
 エメリナたちはオセの顧客なのかそうでないのか、招待客と話している。
 たんにエメリナたちは今日のパーティに招待されたわけではなく、顧客への挨拶と、顔を売るための営業の意味合いもあるのだ。
 それを理解しているのだろうエメリナも双子も、日頃マリアーヌと喋っているときとは違う面持ちをしている。
 若干緊張している様子はあるが、仕事のための上品な笑顔を浮かべていた。
 まわりの貴婦人に引けをとらない、いやそれ以上に存在感のある華やかさ。
 凛としたエメリナとどこかの子息のように取り澄ましたイアンとイーノスに笑みがこぼれる。
「おや、マリアーヌは彼女達と友達なのか?」
「は、はい」
「そうか、それなら向こうに行ってきたらどうだい? せっかくのパーティだ、君も楽しんだほうがいい」
 そう言われ、嬉しい気持ちがわきあがるが、この場を辞していいものかと迷ってしまう。
「私達のことは気にすることはない。仕事の話もあるしな」
 クラレンスが打ち解けきった好々爺のような表情で促す。
「クラレンス様もそう言ってくれているんだし、マリー、さきに行っておいで。僕もあとで行くから」
 ハーヴィスが安心させるように微笑んだ。カテリアもまた行っておいでというように一声鳴きマリアーヌの膝から降りるとハーヴィスの横に座った。
 マリアーヌはようやく腰を上げると、顔を輝かせてお辞儀をし、部屋をあとにした。







 ガラス越しに見るより、実際一歩足を踏み入れると圧倒的な光に目が眩んだ。
 部屋にいるときは感じなかった、大広間に広がった香り。
 たくさんの貴婦人にふりかけられたさまざまな香水の香りが、熱気とまざりあって空気に溶けている。
 耳障りでなく奏でられている音楽と人々の楽しげな笑顔に、不思議な高揚に胸が沸き立つ。
 マリアーヌは胸元に手を当て、大広間を見渡した。
 広間の一角にあるソファーにエメリナたちがいた。
 ちょうどエメリナと目が合い、軽く手を振ってくる。
 マリアーヌは思わず駆け出しそうになるのを踏みとどまるも、スカートのすそを少し持ち上げると早足でエメリナたちのもとへと歩き出した。
 次の瞬間、肩がぶつかった。
「―――申し訳ありませんっ」
 慌ててマリアーヌが言うと、一人の紳士が「こちらこそ。大丈夫でしたか?」とマリアーヌを見下ろした。
 30代後半くらいだろうか。
「はい、大丈夫です。……失礼しました」
 マリアーヌは軽く頭を下げた。
 そして視線を上げると、その紳士がじっとマリアーヌを見ている。
「……あの……?」
 怪訝にマリアーヌが声をかけると、紳士は目を細めた。
「――――失礼、どこかで会った気がしたもので」
 笑みをたたえた紳士の言葉にマリアーヌはまじまじと見つめる。
 冷たい光を宿したダークグレイの瞳。
 紳士の手がゆっくりとマリアーヌのほうへと伸びる。
 
 名前はなんと言うんだい?

 紳士の声が、なぜか遠くで聞こえた。
 手がマリアーヌの頬へと近づく。
 どうしてかわからない。
 だがまるで金縛りにあったかのようにマリアーヌは動けずにいた。
 そしてあとわずかで頬に指が触れるというところで、強い力で腕を引かれた。
 驚いて振り返るとエリックがいた。
「行きましょう」
 エリックはマリアーヌに微笑みかけ、紳士に一礼すると、身を翻した。
「大丈夫でしたか?」
 マリアーヌをエスコートしながら、心配げにエリックが視線を向ける。
「え? ええ。あのぶつかってしまったんです」
「お知り合いではないんですね?」
『どこかで―――』
 エリックの言葉に重なるように、さきほどの紳士の声が思い出される。
 マリアーヌは考えるがわからなかった。
 それに第一、このパーティに来ているような上流階級の人間に知り合いがいるはずがない。
 マリアーヌが首を振ると、エリックは「そうですか」とだけ言った。
「「マリー!」」
 ぼんやりとしていたマリアーヌに嬉々とした声がかかる。
 我に返ると、すでにエメリナたちのもとへたどり着いていた。
 早く早くと双子にせかされて、双子にはさまれるようにして座る。
「それでは、私は失礼します」
 エリックは一礼すると、あっという間に去っていった。
 マリアーヌが驚いてエリックの去っていく後姿を見つていると、エメリナが「オセの従業員なの? 見たことないな」と首を傾げている。
「ねーねー! もう食べた?」
「向こうのお部屋にね、すっごく美味しそうな料理がいっぱいだったんだよ!」
 少し気がそがれていたマリアーヌだったが、元気なイアンとイーノスの声にようやく笑顔を浮かべた。
「まだなにも食べてないの。みんなは?」
「「まだ!」」
 双子だけでなくエメリナもシェリーも声を揃えて言った。
 どうやら挨拶回りで疲れ、お腹がかなり空いているらしい。
 思わず吹き出すマリアーヌ。
「それじゃあ皆で食べてきなさい。ただし、きちんとマナーをわきまえてだよ」
 マローが苦笑混じりにため息をつきながら言うと、双子が「「わーい!!」」と一斉に走り出した。
 マリアーヌたちも笑いながら、双子を追いかけていった。












「1曲お相手いただけますか?」
 壁でぼんやりとしていたマリアーヌに声がかかった。
 エメリナとシェリーはダンスに誘われフロアーにいる。イアンとイーノスは、双子の常連客であるオーレリア夫人とまるで親子のように仲睦まじく談笑している。
 気づけば一人壁の華となっていたマリアーヌは、その声にゆっくりと顔を上げた。
「あなたのような美しい方がお一人でいるとは、信じられません」
 にこやかな笑顔で男は言い、マリアーヌに手を差し出した。
 マリアーヌは笑いを必死で耐えながら、気取った表情で男を見つめる。
「一曲踊ると約束をしていた方を待っていたのです」
 そう言うと、男は「あなたを待たせるなんて、罪な男もいるものですね」と口元を緩める。
「ええ、本当に」
 マリアーヌは目を細めて、男――ハーヴィスの手を取った。
 フロアーに出て、ハーヴィスがマリアーヌの腰に右手を添える。そして音楽にのって踊りだした。
「大丈夫?」
 ぎゅっとマリアーヌの右手を握り締め、柔らかな眼差しで覗き込むハーヴィスにマリアーヌは笑顔で頷く。
「なかなか上手だね」
「今日のためにジョセフィーヌの特訓を受けたもの」
「それは偉いね。さすがマリー」
 からかうような口調に、マリアーヌが軽くにらむ。
 だがすぐに視線を合わせ笑みをこぼす。
「どう? 初めてのパーティは」
 ハーヴィスの巧みなリードに身を任せ、まるで風になったような気分を味わいながらフロアを回る。
「すごく楽しくって綺麗」
「綺麗?」
「きらきらしてて宝石箱みたいでしょう?」
 マリアーヌの言葉にハーヴィスがクスクスと笑う。
 マリアーヌがムッとするとハーヴィスは、
「マリーのほうが宝石より綺麗だよ」
と、囁いた。
 マリアーヌはきょとんとして、そして呆れたようにため息をつく。
「ハーヴィスって……気障よね」
「気障? 本当のことを言っているのに」
 まだまだ子供だね、とぼやくハーヴィスがおかしくて今度はマリアーヌがクスクス笑った。
 しばらく踊っていると、音楽が止んだ。
 次の曲はなんだろうね、とハーヴィスが笑いかける。
 まだ踊るの?、とマリアーヌは言いながらも微笑む。

 ふっと、マリアーヌは後ろを振り返った。

「マリー?」
 再び音楽が鳴り始める。
 ハーヴィスが振り向いたままのマリアーヌに怪訝そうに声をかけた。
「どうかしたかい?」
 マリアーヌはようやくハーヴィスを見て、首を振りながら手を取った。
「ううん。………誰かが見ているような気がしたの」
 気のせいだろうけど、マリアーヌは苦笑して見せた。
「そう?」
「うん。踊りましょう」
 ギュッとマリアーヌはハーヴィスの手を握る。
 ハーヴィスは微笑んでマリアーヌを促しながら、一瞬ちらりと後方に鋭く視線を走らせた。








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2006,3,22