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「ねぇねぇ何して遊ぶ?」
「なにかお菓子食べたい!」
 イアンがマリアーヌの右手を、イーノスが左手をひっぱりながら言う。
 双子の部屋へと向かう途中だ。
 マリアーヌはそれぞれに、「イアンはなにがいいの? お菓子はアンジェに頼みましょうね」と笑いかける。
 まるで子犬のようにマリアーヌにじゃれてくる双子は愛らしくてしかたがない。
 双子の弾んだ声につられてマリアーヌもまた気持ちが弾んでいくのを感じる。
 ここにエメリナが加われば、さらに騒がしさと楽しさは倍増するのだ。
 だがそんな三人の明るい表情も娼婦たちの大部屋に差し掛かったとき、一様に曇った。
「誰が、あなたを好きだと?」
 刺すような冷たい声が響いた。
 冷やかな眼差しと笑みを浮かべた娼婦・ジョアンナが開け放した大部屋の扉にもたれかかり足元にうずくまる娼婦・セルマを見下ろしている。
 セルマは顔を真赤にし、目に涙を溜めている。なにか言おうと口を動かすも、結局言葉が出てこない様子だ。
「あなた、自分が特別ひいきにされているとでも思っているのかしら? 見ていて寒気がするのよ」
 嘲笑を含んだ声が遠慮なくセルマに向けられている。
 マリアーヌはわずかに眉を寄せた。
「どうしたの」
 双子とともにゆっくりと二人のもとへ近づいていく。
 ジョアンナとセルマがマリアーヌを見る。
「あら、マリー。ごきげんよう」
 艶然と微笑むジョアンナはこのオセでも古株にはいる娼婦だ。
 以前は3にはいる人気があり個室を与えられていたが最近大部屋に移ってきていた。
 プライドの高い彼女にとってそれは面白くなく、まだ年若く入ってきたばかりの娼婦をいじめることで憂さ晴らしをしていることがままある。
 一方、恥ずかしそうに、だが助けを求めるような眼差しを送ってくるセルマはつい2週間ほど前に入ってきたばかりの娼婦だ。
「なにをもめているの?」
 マリアーヌが厳しい視線をジョアンナに向けると、彼女は首を傾げる。
 娼婦たちの揉め事や悩みを緩和させるのもマリアーヌたち世話役の仕事のひとつなのだ。
「別に揉めているわけではないわ。セルマが思い違いをしていることがあったから、訂正をしてあげていただけよ」
 ジョアンナは唇に指をあて、クスクスと笑みをこぼす。
「……思い違いなんてっ……」
 搾り出すようにして呟くセルマ。
 目を細め残酷な光に目を輝かせ、ジョアンナがセルマに目をやる。
「あら、そうかしら? 私はてっきりあなたがノアと恋人同士の気分でいるのかと思っていたわ」
 ノア―――、その名にマリアーヌは内心ため息をついた。
「……ジョアンナが口出しすることではないでしょう」
 このオセには娼婦に性技を教えるための者がいる。そのうちの1人がノアだ。
「私は親切心から助言をしていただけよ? セルマには単にお客様へ奉仕する術を教えているだけであって、―――そこに愛の欠片などないのだと」
 マリアーヌをじっと見据え、だが言葉はセルマへと向けながらジョアンナが笑う。
 ジョアンナの視線を逸らさず、マリアーヌもまたうずくまったままのセルマを思う。
 ここへきた娼婦たちは、マナーそして性技について教育される。
 あらゆる快感を与えられ、それまで知らなかった自分の中の性への欲望を引きずりだされのだ。
 繰り返し行われる愛撫に、もともと娼婦だったものはよいが初めて身を売る少女たちの中にはセルマのように擬似恋愛に陥るものもいる。 
 それはそれで仕方のないことでもあり、従順な娼婦をつくるてっとり早いことでもあった。
 だがそういった娼婦の場合、すぐに客に呆れられることも多い。
 性交に溺れ快楽のみに取り付かれた少女たちは、オセとつながりのある娼館へと売られていくのだ。
「夢見るのは勝手でしょうけど、傍から見ているほうにとっては気の毒で、私心配せずにはいられないのよ」
 ジョアンナの言葉に真剣味などない。
 彼女は単に甘い快感と恋心に浸っているセルマの心を揺り動かし、傷つけたいだけなのだ。
 マリアーヌはセルマを見ると微笑した。
「セルマ、今日はノアとの約束はないの?」
 穏やかな声にセルマははっとしたように眉を寄せた。
「ノアのところへ行こうとしたら……ジョアンナさんに声をかけられて……」
 ちらちらとジョアンナを伺うようにセルマが続ける。
「だからノアは私のこと待ってるわ。どうしよう」
 恋する少女はジョアンナはセルマに虐げられていたときよりも悲痛な表情をしている。
 マリアーヌは安心させるように目を細めた。
「大丈夫。ノアが優しいことはセルマが一番知っているでしょう? 遅れても文句など言わないわ。さぁここはもういいから、早くノアの所に行ってらっしゃい」
 セルマのもとへと歩み寄り、手を貸し立ち上がらせてあげる。
「ありがとう」とセルマはマリアーヌを見つめ、そしてジョアンナを一瞥すると足早に去って行った。
 それを見送って、マリアーヌは凛とした眼差しをジョアンナへ向ける。
「―――ジョアンナ、あなたの心配する気持ちはわかるけれど。セルマがノアとの関係でよい影響を仕事に与えるのだったら良いのではないかしら?」
 ジョアンナは睨むように視線を返す。
「セルマはまだオセに来たばかり、彼女がどんな娼婦へと変貌するかあなたにはわからないでしょう? もしかしたら1ヵ月後にはあなたより売れているかも」
「あら、マリーはそう思うの?」
「どうかしら。ただあなたの勝手な行動で、このオセの利益を損なうようなこをされてもらったら困るの」
 マリアーヌとジョアンナの間に張り詰めた空気が漂う。
「こういったことが多いと、支配人にも報告をしなくてはならないし」
 マリアーヌはふっと表情を和らげ微笑した。
「そうしたらジョアンナも困るでしょう? 私もジョアンナに会えなくなったら寂しいし、友として助言よ」
 唇を噛み締めるジョアンナ。
 娼婦や使用人に立場の差はない。
 だが和を乱すものには強くいうことも必要だと、マリアーヌはハーヴィスから言われていた。
「…………わかったわ」
 ややしてジョアンナが視線を逸らした。
「オーナー様のご寵愛を受けるマリーの助言だもの。よく肝に銘じておくわね」
 にこやかに、だが睨むようにしてジョアンナは言い捨てると扉を閉めた。
 一気に静けさをとりもどした廊下で、マリアーヌは疲れたようにため息をもらした。
 "オーナーの寵愛を受けたマリー"。
 事実は違えど、各仕事場を転々とし、そしてオーナー専用の棟へと帰っていくうちにマリアーヌはいつしかそう噂されるようになっていた。
「マリー、かっこよかったよ!」
「うん! 素敵だった!」
 イアンとイーノスが手を繋いできて笑顔で見上げてくる。
 マリアーヌはようやくほっとしたように頬を緩めると、双子の手を握り締めた。
「ありがとう。さぁ早くお部屋に行って遊びましょうね」
「「うん」」
 そうして三人は改めて歩き出す。
 しばらくして、イアンとイーノスの静かな声が独り言のように響いた。


「でも、あのセルマって娘―――」
「きっと、2ヶ月後にはオセにいないだろうね」
 
 
 マリアーヌは返事をせず、ただ胸のうちで双子の予想が外れないだろうと思った。











***












「ジョアンナとやりやったそうだね」
 マリアーヌはカテリアの背にブラシをかけていた手を止めた。
「やりあったって……。べつにケンカしたわけじゃないわ」
 傍らに座るハーヴィスに視線を向け、地獄耳、と心の中で呟く。
「マリーが毅然と忠告している姿を見たかったな」
 ハーヴィスは笑いながら言って、円形の小箱を取った。中には数種類のチョコレートが入っている。顧客からもらったものだ。
 そのうちの一つをとると、マリアーヌの口元に差し出す。
 マリアーヌは口を開け、チョコレートを受け取る。
 濃厚な甘さとほのかな苦さが口の中に広がる。
「美味しい?」
「美味しい」
 チョコレートはあっというまに溶けてなくなる。
 ちらりとマリアーヌがハーヴィスを見ると、ハーヴィスは目を細めてチョコレートを取り差し出す。
 また口を開け受け取ると、今度は中からお酒がチョコレートと溶け合うようにして流れ出してきた。
 思わずお酒の辛さに顔をしかめるマリアーヌ。
「おやお気に召さなかったかい?」
 笑いながらハーヴィスは自分もお酒入りのチョコレートを食べた。
「美味しいのにな。――――それにしてもジョアンナにも困ったものだねぇ」
 そう言うも、少しも困っていなさそうな口調。
「彼女の気の強さを気に入っていらっしゃるお客様もいるが………」
 人気を無くし、飽きられていった娼婦は売られていく。
 それはオセで働くA棟の娼婦たちにとってはあまり喜ばしくない。
 オセの娼婦は他の娼館と比べ物にならないほどの質の高さを誇っている。
 それは徹底したマナー・性技の訓練とともに、あらゆる高級品を与えられているからだ。
 豊かさを養うためには、オセへくる貴族や高官たちと同じように高級なものに触れておく必要がある。
 最上級を知ることにより、オセの娼婦たちは外見内面ともに磨かれていくのだ。
 だがそれゆえ、オセから放り出された娼婦たちは生活レベルを落とすことができなくなってしまうのだ。
 オセへ来る前へと戻るだけなのだが。
「まぁもうしばらくは様子を見ておこうか」
 マリアーヌは返事をせず、そしてハーヴィスもまた返事を待つでもなく、呟いた。
「ところで、マリー」
 カテリアにブラシをかけ終え、今度は爪を切っているマリアーヌは顔を上げず「なに」と返す。
「明後日の休み、いつでもいいから時間を空けておいてくれ」
 最近の休みはエメリナや双子たちと遊んだり出かけたりすることが多い。
 マリアーヌは首を傾げ、
「なにかあるの?」
「ドレスを新しく作ってあげるよ」
「ドレス? この前も2着作ったばかりなのに?」
 ドレスを新調するのはマリアーヌのためというよりもカテリアのためだ。
 ハーヴィス曰く、カテリアのそばにいる者がいつも同じドレスを着ていてはいけない、そうだ。
 マリアーヌはカテリアの小さな爪から瞳へと視線を流す。
「カテリアもドレス作ればいいのに」
 悪戯っぽく笑いながらカテリアの喉を撫でると、カテリアはツンと顔を背けた。
「カテリアにもドレスねぇ。それはいいかもしれないなぁ」
 ハーヴィスが笑いながら頷いている。
「たまにはそういうのも楽しそうだね」
 どうやらその案にずいぶん乗り気になった様子のハーヴィス。
 ニャァッ、抗議するかのようにカテリアが鳴き、ひらりとマリアーヌの膝から降りる。
 マリアーヌとハーヴィスを一睨みすると部屋を出て行った。
「まだ爪切り終わってないわよ、カテリア」
 慌ててそのあとをマリアーヌが追う。
 その様子を眺め、ハーヴィスはしばらくの間楽しそうに笑っていた。

「さて、女王様のお気に召すデザインはどんなものだろうね―――」

 チョコレートを一粒口に放り入れ、ハーヴィスは頬杖をつき呟いた。



 


 


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material by  Cloister Arts

2006,3,1