『前編』












「もう逃げられないぞ」
 少年は相手をじっと見据え、低く呟いた。
 黄金に輝く月光の下、対峙する二つの影。
「ふん。俺がお前ごときに捕まると思うのか」
 その男は冷たい眼差しを向ける。そして、口元に笑みを浮かべるとポケットから一枚のカードを取り出した。
 真っ黒なカードに鮮烈な赤と青で文字のようなものが描かれている。
「そ、それはっ!!!」
 驚きの声があがる。
 それと同時に男はそのカードを月に翳した。
「異界のへ門よ、我が下へ来たれ!! そして我を誘え!!」
 それは扉を開くための鍵、呪文。
 その言葉を合図に、月夜は一瞬のうちに暗闇に閉ざされる。
 そして、閃光が走った。
「ま、待てッ!! カイル!!」
 あわてて叫ぶが、男には届かない。
 愕然と立ち尽くす少年に不敵な笑みを残し、男は行ってしまった。
 

 『地球』と呼ばれる異世界へと…。




















 ピカッ!!!
 稲光が夜の校庭を一瞬照らし、窓を震えさせた。 
「おお〜すんげえ〜!!」
 子供のように目を輝かせ、早瀬勇気は廊下の窓にへばりつく。
 その隣を歩いていた白鳥あずさは大きなあくびをしながら、勇気を見た。
「雷なんてどーでもいーよー。ああ〜早く家かえってお風呂入って寝たい〜!ネムいぃぃー」
 不満全開といった感じで、叫ぶ。
「俺だって眠い。でもしゃーねーよ、だって僕たちは〜」
 くるり、とあずさのほうへ身をひるがえし、勇気は悲しそうに両手を大きく広げる。
「明日開催の文化祭の実行委員〜なんだからさー」
 まるでミュージカルでもしているかの歌って言った勇気。
 あずさはひどく冷めた眼差しを向け、低い声で呟く。
「馬鹿すぎ……」
「そ! 明日で終わりなんだよ! 文化祭が終われば晴れて自由の身!! それに、いまだって教室の鍵さえ返しに行きゃ、もう帰れるんだからいいじゃん」
 キーホルダーを指でくるくると回しながら笑う。
 だが、あずさはあくまで憮然とした表情だ。
「終わりってッたってもう10時なのよっ! あんたが片付け決めるじゃんけんで負けたせいでこんなに遅くなったんだからねー」
 目くじら立てて言ったあずさを横目に盗み見る。
(あずさだって、じゃんけん負けたから今いるんじゃねーのか…)
 と、そう思った。
 だが、女は怒らせてはいかん、と言う祖父の教えを思い出し黙っていた。
「こんなとこで立ち止まってる場合じゃない! ほら行くよ、勇気」
 そう、あずさが一歩足を踏み出した瞬間、
「うわあああー!!!」
 空気を切り裂くような絶叫がとどろいた。
 二人は顔を見合わせる。
「職員室からだよねぇ…」
「……たぶん」
 どうする、と目で互いに問いかけて数秒、職員室へと走り出した。
 近づいていくと職員室の中から、大きな物音が響いてくる。
 すぐ近くまで来て、今度は抜き足差し足でドアのところまで行く。
 そして窓からそっと職員室の中を覗き込んだ。
「…誰もいないぞ…?」
 恐々と視線を走らせる。
 イスが倒れているのが見えた。だが人の気配はない。
「でも散らかってるわよ?」
「泥棒か?」
「先生が発狂したとか……」
 あずさが言いながら勇気を見る。
 横を向いたあずさの横で大きな音が響き渡った。
 廊下に面した窓の割れる音と、外で雷鳴。それとともに、構内の電気が落ちる。
「ッッ!?」
 身構える勇気。
 飛び散る破片をかわし、勇気を盾に隠れるあずさ。
 そして……。
 割れたガラスのかけらを踏みしめ、一人の男が二人の前に降り立った。
 雷の光が、廊下を途切れ途切れに照らす。その中で、金色の長い髪がなびく。 
 あずさと勇気は呆然と立ち尽くし、男を見た。
(が、外人ー! 外人が泥棒!? なんて国際的なんだ!!)
 勇気は口を大きく開け、思った。
(か、かっこいぃ〜! なんなのーこのかっこいい外人さんは!!)
 あずさは口を手で覆い、うっとりと見つめる。
 混乱を極める、二人。
「……なんだ、ここは。これが異界なのか? 噂とだいぶ違うな」
 男は怪訝な顔をして呟いた。
(イ…カイ……?)
 二人は同時に思う。
「………せっかく顔はいいのにちょっとアレだわ……。うーん、おしいっ」
 落胆した表情でぶつぶつ呟くあずさ。
 男は横髪を耳にかけながらようやく二人の存在に気づいた。
 深い藍色の瞳を二人のほうに向ける。
 じろりと品定めをするかのような視線。
 勇気は後退りし、あずさの後ろに隠れる。
 そんな勇気にあずさは男を見たまま肘鉄を食らわせた。
「人間か…。さっきの奴よりはましな血をしているようだな」
 男・カイルは唇を舐め、冷たく笑った。
「……さっきの奴…?」
 二人は同時に呟き、重なるようにして後退りし、そしてドアにぶつかった。
 割れた窓から職員室の中が見える。そしてその一角に足らしきものが二人の目に映った。
 チカチカと明かりが点滅し、一時的だったらしい停電が元に戻る。
 電気がついたことで、倒れている人物が紫のジャージをはいていることがわかった。
 よく見知ったそのジャージに二人は残っていた教師であることを認める。
「あ…あずさぁ……。俺たちってもんのすごくヤバイんじゃないか…?」
「そんなの…わかってるわよ」
 ジャリ………。
 ガラスのこすれ合う音がやけに大きく聞こえた。
 二人は職員室の中から男へとゆっくり視線を戻す。
「…………あなたは吸血鬼…………なんすか……」
 弱弱しい勇気の声が静かな廊下に響いた。
 唖然として、あずさはにらむように見る。
(な、なにばかなこと言ってんのよ〜!?)
 血がどうのこうのとは言っていたし、倒れているのも事実。だが、本気でそんな馬鹿げたことを言うのかと顔を引きつらせる。
 しかし意に反して、カイルはニヤリと笑った。
「この世界ではそう呼ぶらしいな」
(ま、まじで吸血鬼っすか!)
 瞬間、驚きにあごが外れそうなほど大きく口を開けるあずさ。
 勇気はただただ、息をしているのだろうか、というぐらいに固まっている。 
 ゆっくりと、カイルが一歩二歩と二人のほうへと近づいてきた。
 二人は思わず手を取り合って一歩二歩と後ろへ下がる。
「あ、ああーああのあの」
 しどろもどろ、顔を真っ青にさせた勇気が声をかけた。
「い、いい異世界から、来られられたのですよね…」
「そうだ」
「血…ちち………血を飲まれるんですよね……」
「そうだ」
 あくまで冷淡な声が返ってくる。 
「…ったら…やっぱり…やばいんじゃないんでしょうか…。し、知らない土地での食事というのはやめたほうがいいと思うのですが……」
 一瞬、シンとする。
 ふっとカイルは笑みをもらした。
「心配しなくとも、さっきの人間で毒見したから大丈夫さ」
 口元がキラリ、光ったような気がした。
 牙が見えたような気がしないでもないような。
 そして緊迫した空気は絶叫で破られる。
「………あ、ああ〜ッッッ!!! もうヤダーッ!」
 ウエーブのかかった長い髪を大きく揺らし、あずさが叫んだ。
 突然の大声に勇気は心臓が止まりそうになった。
「勇気っ! あんたどうにかしなさいよー!!!」
 すごい剣幕で勇気につめよる。
「はぁっ?! なんで俺がっ」
 身を引きながら顔をこわばらせる。
「男でしょ!!!」
「なんだよー! お前、最近少林寺習いだしたって言ってたじゃんか!お前がなんとかしろよー!!」
「習ってんじゃなくて、映画の少林寺シリーズにハマってるだけよ!」
「な、なんだよそれぇッ!」
 勇気はぽかんとしてあずさを見る。
 あずさはツンと顔を背けて、横目でにらむ。
「だいたい! 勇気さあ、結構体つきいいし、運動神経いいのに将棋部なんて変なのにはいっちゃってさぁ」
 むっとして、勇気もにらみつける。
「将棋部のどこが変なんだよッ!」
「こういう肝心な時に役にたたないでしょーッ!!」
「知るかーッ! そんなん!!」
「おい」
「なによ!!」
「なんだよ!!」
 二人は会話をさえぎった声の主をキッとにらみつけた。
 と、すぐ目前にいるカイル。
「…………っ!!!」
 二人は元凶を思い出し、再び青ざめる。
「お喋りはもういい。俺は腹が減ってるんだ」
 氷のような冷たい眼差しに、あずさと勇気はごくりと喉を鳴らした。
「ご……ご注文は…」
 恐怖に訳がわからなくなった勇気が泣き笑いで言った。
 カイルは薄く笑みを浮かべる。
「最上なのは、若く美しい血、だ」
 カイルの瞳が輝く。
 あずさはその美しさに思わず見惚れながら、身の危険に体を震わせる。
「い…いや…」
 カイルの手がすっと伸びる。
 あずさは近づいてくるのを感じて、ぎゅっと目をつむった。
「なかなか美味そうだ…」
 言いながら、カイルの手が腕をつかんだ。
「きゃあぁぁぁ〜!」
「うわあぁぁぁ〜!!!!」
 少女の声をかき消す、少年の悲鳴。
 ポカンとしてあずさは顔を上げた。
 目に映ったのは、カイルに連れ去られていく勇気の姿。
「……………」
「あずさぁ助けてくれぇぇぇー………………………」
 あずさが呆然としている間に、勇気の悲鳴は遠のいていく。そして姿も消えていった。
「……ゆ…う……き」
 呟くと同時に、地面が揺れるような大きな雷鳴が轟いた。
「な、な、な、なんで勇気なのよ〜ッッッ!!!!」
 雷鳴に負けず劣らない絶叫が上がる。
 叫びながら、あずさは地団太を踏んだ。
 そしてそこへ、少年はやってきたのである。













 カラリ、と窓が開いた。
 怒りに燃えていたあずさはそのことにまったく気づかなかった。
 窓から校内へと侵入しようとした少年は衣服に足を取られ、ドスン、と床に落ちてしまった。
 その音に、あずさは身をすくめて振り向いた。
 そしてすぐに目を逸らす。
(ま、また変なのがいるッ!!)
「いったぁぁぁー…」
 少年・カルディールは床で打った腰をさすりながら、着慣れない袴に動きにくそうに立ち上がる。
 そうカルディールは紋付袴を身にまとっていた。色白でちょっと女の子っぽい顔立ちをしている。
 少し緑がかった碧い目をパチパチさせ、ちょんまげのカツラがづれていないか確かめている。
「はぁー、疲れるなぁ。この格好……」
 とろとろと顔を上げ、カルディールはあずさに気づいた。
 変なものを見る眼差しのあずさにカルディールは満面の笑みを浮かべる。
「あの…」
 カルディールが言う。
 だが返事を返すでもなく、あずさはさっと背を向け歩き出した。
「あ、あの!?」
 早歩きでこの場を立ち去ろうとするあずさ。
「あの、ちょっと待ってください。お聞きしたいことがあるのです」
 無視を決め込むあずさのあとを追いかけるカルディール。
「この辺に金髪のちょっと気障そうな男がやってきませんでしたか」
 カルディールはめげずに話しかけた。
 あずさの足が止まる。
「知ってるんですか!」
 あずさの前にまわりこむカルディール。
「……知ってるもなにも……。私の友達がさらわれちゃったわよっ!」
 その言葉にカルディールは険しい顔をする。
「遅かったか!!!」
「そうよ……だいたいなんで勇気なのよー! 普通吸血鬼に狙われるのって美しい乙女でしょー! それが!なんであんなクソボーズがさらわれるわけ〜っ!? ちょっとーどういうことよッッ!」
 あずさは今にも襲いかかりそうな勢いで、カルディールに詰め寄った。
「えっ、いや、あの」
 あずさの剣幕におろおろするカルディール。
(な、なんだ〜この女の子はーっ。怖いよ〜)
 半べそになりながらカルディールは、
「カ、カイルのこ、好みじゃなかったんじゃないでしょうか」
と、口走った。
 あずさは一瞬固まり、そしてまたさらに猛烈な勢いでカルディールにつかみかかる。
「好みじゃない!? こんな美少女なのにっ!」
 確かに整った顔立ちをしていた。目もはっきりとした二重で、色白で怒ってさえいなければ、可愛らしい女の子にしか見えないだろう。
「え、いや、あの、その」
 カルディールは後ずさり、必死でこの状況を打破するにはどうすればいいかをフル回転で考える。
「…あ、の、その、も、もしかしたらあまりにあなたがお美しいので気が引けたとか…」
 瞬間、あずさの動きが止まり、カルディールをじっと見つめる。
 カルディールは怖くて黙って、あずさの出方をうかがう。
 と、突然、あずさがにっこりと笑った。
「あの人カイルっていうの?」
「……え? あ、はい」
「あなた、あの人を追いかけてきたの?」
 どうやら機嫌がなおったらしいということがわかり、まだ顔を引きつらせながらもカルディールは必死で笑顔をつくり頷いた。
「は、はい。ぼくはあの男を、カイルを捕まえにきたんです」
「で、カイルっていう人は吸血鬼なの?」
「あ、はい。この世界ではそう呼ばれているみたいです。あの、異界から来たと言ったんですか?」
「言ってたよ。本当にこの世界の人じゃないの? 頭おかしいだけじゃなくて?」
 半信半疑、だが少し興味深そうな表情。
「はい。ぼくたちは異世界から来たんです。こちらの世界にはあるカードが必要なんですが。まさかカイルが持っていたなんて…。ぼくの誤算でいま、こうしてご迷惑をおかけしてるんです」
「カードって?」
 カルディールはゴソゴソと懐から一枚のカードを取り出した。
「ゴールドカードなんです」
「ゴールドカード?」
 あずさはそのカードをまじまじと見る。
(なんか普通のキャッシュカードみたい)
 金色のカード地に黒と赤で文字のようなものが浮き彫りになっている。
「これ手に入れるの大変なんですよね…。ぼくたちの世界の大手旅行会社が発行している異界へのパスカードなんですけど、すごく高くて。カイルが持ってるなんて思いもしなかったです。カイルが持ってるのはぼくのとは違う旅行会社のだったんですけどね」
 にこやかに説明するカルディールに、眉を寄せるあずさ。
(…なんか…。異界っていうイメージが…。騙されてる…?)
 あまりにも普通すぎる、自分の世界と大差なさそうな異世界に、ため息がもれた。
「…でさ、あたしの友達は、勇気っていうんだけど、連れ去られたわけね」
「それはもちろんぼくが責任をもってお助けしてきます」
 カルディールは自信満々の笑みを浮かべ、胸を叩く。
「うん」
 頼むわよ、と笑顔を返す。
「……じゃあ、そういうことで…」
 ようやくこの少女から解放される、とホッとした笑みでカルディールは言った。
(はやくカイルを探さなきゃ…)
 身をひるがえして行こうとした。そんなカルディールの襟首が、グイッと引っ張られた。
「ちょっと待ってよ」
「え」
 振り返ると、満面の笑みがある。
「私も行く」
「でも」
「だって友達が心配じゃない」
「あの、でも、ちょっと危険ですし…」
 言うと同時に、心の中で呟く。
(あんまり関わりたくないし)
 だがそんなカルディールの想いなど軽く無視で、
「遠慮しなくていいって。さ、行こ」
と言い、さっさと歩き出した。
「あ、わたしあずさって言うの。よろしくね」
 笑顔につられて、カルディールは軽く頭をさげた。
「ぼく、カルディールって言います。……って、そうじゃなくてですねー…」
 一人先をゆくあずさの後を焦りながら追いかける。
 だが、あずさはまったく無視。
 こして二人はカイルたちを探しに行くのだった。