secret 97  終わりの、はじまり  

捺くんと和くんに話をしなきゃって決意したけど、結局なにもいえないまま一日が過ぎてしまう。
きのう、昼休み怒ってしまった捺くんは放課後にはいつもどおりになってた。
でもこれまでのようなスキンシップがなくなってた。
そして毎日のように言ってた″好き″って言葉も。
だから、きっかけをつかめないでいた。
「―――ゆう」
カタンと目の前にマグカップが置かれて、ハッとして我に返った。
顔を上げるとゆーにーちゃんが「紅茶どうぞ」って苦笑しながら向かいのソファーに座る。
「ありがとう」
笑顔を向けて紅茶を飲む。
紅茶はロイヤルミルクティーで、その味はずっとゆーにーちゃんが作ってくれてた懐かしい味。
ゆーにーちゃんが淹れてくれる紅茶どれも美味しいけど、ロイヤルミルクティーが一番好き。
甘くて優しい味に心がホッとする。
ちらり視線を上げてゆーにーちゃんを見た。
帰国して仕事が山積みらしいゆーにーちゃんは家でもずっと仕事してる。
できるだけ残業をしないかわりに仕事を家に持ち帰ってくることが以前から多かった。
たぶんそれは私をひとりにしないため。
「……なにか顔についてる?」
パソコンから私に視線を向けて、ゆーにーちゃんが小さく笑う。
「……ううん。仕事大変そうだなって思って」
「まぁ、2カ月しかないからね」
………そっか。2カ月しかいないんだった。
「実優。おいで」
ゆーにーちゃんが優しく微笑んで、手招きする。
私はゆーにーちゃんの足元にすり寄るように近づく。
「なにかあった?」
そっと私の頭を撫でながら、ゆーにーちゃんが心配そうに訊いてくる。
「……なんで?」
「なんか悩んでるっぽい気がしたからね」
「…………ん」
立て膝して頬をついて、ぼんやり呟く。。
「………和くんと捺くんのこと……ちゃんとはっきりさせようって思って」
「そっか」
「………」
「辛いね」
「……でも私が悪いことだから」
「………」
「私、ふたりを傷つけちゃうよね」
「―――実優」
ずっと撫でてくれてた手を止めて、ゆーにーちゃんが私の顔を覗きこんだ。
「誰だって無傷じゃ生きていけない。人を傷つけてしまうことだってたくさんある。傷つけたら自分も傷ついたりね。だけど、それを怖がっちゃだめだよ? そして逃げたらだめだよ? 結果傷つけることになったとしても、自分の心を誠意をもって話すことは大切だから」
「……うん」
「実優は和くんと捺くんが好きなんだろう?」
「……うん」
「ずっと友達でいたいって思うなら、また努力すればいい。自分の気持ちを打ち明けて、いまのままでいられないかもしれないけど、それでも2人が大事だと思うのなら」
「………ん」
「がんばって。俺はなにがあっても実優の味方ってことだけは、忘れないで」
「……うん。ありがとう、ゆーにーちゃん」
小さいころから、パパとママがいたころから、私がなにかを相談するのはいつもゆーにーちゃんだった。
いつでも私の味方でいてくれるって言葉は、ずっとずっと昔からある本当の言葉。
「それにこの件では俺のせいでもあるんだから……。全部俺のせいにして言えばいいよ」
「……ばか」
「バカでいいよ。実優のためなら」
「……私がゆーにーちゃんのこと悪く言えるわけないのに」
「……そう?」
「そうだよ」
「そっか……。それじゃあちゃんと頑張れたら御褒美あげるよ」
「御褒美?」
「プリン作ってあげるから」
「………」
「………あれ? キライになった? プリン」
「好き、だけど! だってそれ昔からずーっとなんだもん。幼稚園のときからそれだよ?」
「……なんかそう言われると嫌がられてたのかなってショックなんだけど」
「え、あ! ご、ごめんなさい、ゆーにーちゃん!! あの、ゆーにーちゃんのプリンは大好きなんだけど、私もう子供じゃないし!」
勢い込んで言うと、ゆーにーちゃんが吹き出す。
クスクス笑いながら、ゆーにーちゃんはまた私の頭を、髪を撫でた。
「わかったよ。じゃー今度はプリンにもうひとつ御褒美つけてあげるから」
「……ほんと?」
「ほんと」
「じゃあ頑張る」
「うん」
くだらないかもしれない、他愛のない約束。
だけどそれは私にとってはずっとずっとかけがえのないもの。
御褒美が欲しいからじゃない。ちゃんとゆーにーちゃんが私のことを見守ってくれるってわかるから、だから頑張れるんだ。











「な、捺くん。ちょっと話があるんだけどいい?」
私が捺くんに切り出したのは、ゆーにーちゃんと話した二日後の金曜日のことだった。
昼休みにみんなでごはんを食べて、そのあと。
購買部に買いにいくものがあるって捺くんが早めに私たちの教室を出て行って。
私はそれを追った。
勇気を振り絞らないと、いつまでたってもずっと言えないような気がしたから。
「………購買行きながらでもいいならいいよ」
「えと、買った後でも……いい?」
「わかった」
捺くんと並んで購買部に行く。
そして買い物を済ませるまで、私たちは無言だった。
いつもなら捺くんは笑顔で話しかけてくれるけど、いまはなにも言わない。
私のほうを見ようともしない。
私がなにを言うか、気づいているのかな、って少し思った。
「どこで話す?」
購買部を出て、捺くんが私を見る。
場所のことを考えてなかった私はどうしようかなって迷う。
「……前、お昼食べた階段の踊り場のところ行く?」
「う、うん」
捺くんが先を歩いて、私は一歩後ろを歩く。
その距離感が、このあともっと開いちゃうのかなって思って、胸が苦しくなった。
結局またなにも喋らずに踊り場についた。
太陽の光がよく差し込むそこは、前来た時と同じようにすごく暖かい。
「……それで、なに?」
壁に背をつけて、捺くんが首を傾げて私を見つめる。
「………うん。あのね……」
ぎゅっと両手を握りしめて深呼吸をひとつしてから重い口を開いた。
「あの……前、私好きな人がいるって話したの覚えてる?」
「うん」
「………あのね、ずっと離れてたんだけど、あの……その人と……」
「………」
「……その」
「付き合うようになった?」
「…………うん。……ずっと好きで、その人が大切なの。その人も私のことを大切にしてくれるの」
「………」
「だから、捺くんとは友達としてしか……。それ以上にはなれません。ごめんなさい」
言いきって、頭を下げた。
沈黙が、重い。
「実優ちゃんの言いたいことはわかった」
「………」
「でも、オレの答えは―――待って」
「………え?」
思わず驚いて、顔を上げる。
一瞬目が合うけど、捺くんはすぐに視線を逸らせた。
「はじめから無理って言われてたのを頑張らせてって言ってたのはオレだし、実優ちゃんには迷惑かも知れないけど、終わるときも納得したいから」
「………捺くん」
「少し、時間ちょーだい。実優ちゃんのことを諦めるための……」
「…………」
「………よかったね、実優ちゃん。好きな人とうまくいって」
なにも言えない私に、捺くんは少しだけ笑う。
そして「先に戻るね」って言って、その場を去っていった。
私は立ち尽くして、しばらくしてからため息をついた。
『終わるときも納得したい』
っていう捺くんの言葉が胸に刺さる。
それは、よくわかるものだった。
ゆーにーちゃんが海外赴任する前に、私に距離を置こうと告げた時。
納得できないまま、距離は離れて行ってしまって、それがすごく辛かったから。
「………」
どうしようもなく切なくって、ため息が何度もこぼれてしまう。
そのとき、予鈴が鳴りだした。
しかたなく私はゆっくり教室へ歩いてく。
窓の外の風景をぼんやりながめながら、廊下を進んでいって。
―――足を止めた。
下に見える校舎と校舎を繋ぐ渡り廊下。
そこに、先生がいた。