secret 128  桜が咲く日  

「私ね、パパとママがいないんだ。私が10歳のときに事故で亡くなって……」
捺くんの息を飲む音が聞こえてくる。
「ゆーにーちゃんはママの弟で、ずっと一緒に暮らしてた。パパとママがいなくなってからは私とゆーにーちゃんが2人でひとつの家族で……。ずっとゆーにーちゃんに支えられて私は生きてきて」
優しいゆーにーちゃん。
いつだって私のことを一番に考えてくれてた。
「そしてゆーにーちゃんも………私のことを支えに生きてきたって、わかってる。ゆーにーちゃんが私に甘えるとか頼るとか、そんなことしないけど。でも……私がゆーにーちゃんがいなきゃダメなように、ゆーにーちゃんも私がいなきゃダメって……知ってるの」
「………」
「中学の時、ゆーにーちゃんのことを″男の人″として意識するようになって″恋″しちゃって。高校入って、その想いが通じたとき―――……」
『俺のものにして、ずっと離さないよ?』
そう言ったときのゆーにーちゃんのこと覚えてる。
切なそうに私を見てたこと、覚えてる。
「すごく、嬉しかった。家族以上のつながりができた気がして、ゆーにーちゃんに愛されて、嬉しくって、ずっとずっとゆーにーちゃんのそばにいるんだって思ってた」
ただ当たり前のようにそう思ってて。
ゆーにーちゃんとの未来を疑ったことなんてなかった。
「………でもゆーにーちゃんの海外赴任が決まって、距離を置こうって言われて……。なんで、そんなことを言ったのか私にはわかんないけど……。でも、ずっと私がゆーにーちゃんを想う気持ちは変わらないって……思ってた」
「………」
「ゆーにーちゃんが先月一時帰国して……。また私の特別になりたいって言ってくれて……嬉しくてたまらなかった。嬉しくって………。ほんとに……嬉しかった………のに」
嗚咽がでて、両手で顔を覆って伏せた。
捺くんがゆっくりと背中を撫でてくれる。
泣く資格なんてないのに、ぐずぐずと泣いて、泣き続けて。
「………また、ずっとこれからはほんとに……ゆーにーちゃんと一緒にいれるんだって、思ってたのに」
胸が苦しい。
喋るたびに、しゃくりあげてしまって。そのたびにそっと捺くんがトントンと背中を叩いてくれる。
「が……学校で、先生の……姿を……見かけて……っ。私、先生に……っ。『しばらく会えません』なんて、メール……しちゃってて……。しばらくじゃなくって、ずっとなのに。先生との関係を終わらせなきゃいけなかったのに、ゆーにーちゃんと一緒にいれるって喜んで先生のこと忘れてたのに。先生見たら、ゆーにーちゃんのこと忘れてて……っ」
また毎日ゆーにーちゃんと一緒にいられてすごく幸せでたまらないのに。
ゆーにーちゃんとキス出来て、愛されて、ほんとに幸せでたまらないのに。
大好きなのに。
「先生に関係は終わりって言われて―――……目の前が真っ暗になった」
「………」
「ものすごく……哀しくって…、苦しくって。でも必死で、関係ないんだから傷つくはずないって、否定して。ゆーにーちゃんに寄りかかって、慰めてもらって」
そんなつもりはなかった。
苦しいつもりなんてなかった。
でも思い出すと全部、私は―――先生のことを忘れるように、忘れるためにゆーにーちゃんだけを見つめようとしてた。
「私、最低なこと……してた。ゆーにーちゃんを裏切れないって、ずっとそばにいるんだって思ってたのに、私はっ。私は―――……」
ゆーにーちゃんにあんなことを言わせてしまった。
ゆーにーちゃんは自分のことを″卑怯″だと言った。
でも、違う。
卑怯なのは―――まぎれもなく、私だ。
「……実優ちゃん。ゆーにーちゃんはなんて言ってるの? 実優ちゃんが先生のことを好きって?」
「……う、ん。お互い……限界って……。先生のことで苦しんでいる私を……見るのが辛いって……。私に……自分の気持ちに素直になっていいって……っ」
「……そっか」
「でも、でも、私はっ」
「……ねー、実優ちゃん」
ぐずぐずと泣いてる私に、捺くんが真剣な声で問いかける。
「あのさ……、先生のことを好きっていまはわかってるんだよね?」
「………」
「認めるのが怖い? ゆーにーちゃんだけど好きでいたいって実優ちゃんの気持ち……よくわかったよ。でもさ、誰よりも実優ちゃんのことをわかってるゆーにーちゃんが″限界″って言ったんでしょ?」
ぎゅっと、唇を噛み締める。
「誰よりも実優ちゃんのことをゆーにーちゃんは想ってるんだよね? 幸せになってほしいって思ってるんだよね?」
私がゆーにーちゃんの幸せを願うように、ゆーにーちゃんも私の幸せを願ってくれてる。
それは間違いのない事実。
小さく頷くと、捺くんはそっと頭を撫でてくれた。
「たぶんゆーにーちゃんは自分の手で幸せにしたいって思ってたんだろうけど……」
「……私……だって! いまだって! 私は……」
「ゆーにーちゃんが幸せになってほしいって思ってる、でしょ? そしてその幸せのために必要なのが……実優ちゃん自身だって、思ってるんでしょう?」
「………」
「確かにゆーにーちゃんは実優ちゃんがそばにいてくれたら嬉しいし、幸せを感じられると思う。でも、それは実優ちゃんが幸せでないと意味がないんじゃないかな?」
「……しあわせ……だよ……っ」
「でもそれは……ゆーにーちゃんが望む形でじゃないでしょ? 恋人として幸せだと思ってる?」
「……わた…しが、ずるいからっ。……先生のことは……」
「先生を忘れて、がんばってゆーにーちゃんをまた好きになるの?」
「……っ……」
「がんばらなくって、ただ無意識のうちに″先生″のことを好きになってしまってたから、実優ちゃんは苦しんでるんでしょ?」
「………」
「ゆーにーちゃんは男として、実優ちゃんのことを引き留めたかったんだと思う。オレだってゆーにーちゃんの気持ちはわかるよ。がんばって、がんばって振り向いてもらえるならなんだってする。悪あがきだってする。でもさ―――無理なものは無理で。そんな悪あがきのせいで、好きな女が苦しんでる姿を見るのは、一番つらいし……。やっぱ好きな女には幸せになってほしいし……」
「………」
「だから……実優ちゃんがゆーにちゃんのためにしてあげられることは、ただゆーにーちゃんを見つめ続けるってことじゃなくって、ちゃんと自分の気持ちと向き合って答えを出すことなんじゃない?」
「………」
「ゆーにーちゃんはさ、たとえ実優ちゃんがほかの人を好きになったからって実優ちゃんから目を逸らすような人じゃないでしょ?」
「………私が……しあわせに……なるならいいって……言ってたっ。ずっとそばで見守ってるから……って、言ってた……っ」
涙がさらに溢れてきて、顔がぐちゃぐちゃになってるのがわかる。
目が痛い。
そして心がどうしようもなく震え続けてる。
「……実優ちゃん……。実優ちゃんとゆーにーちゃんの関係が″恋人″でなくなったって、お互いがお互いを想う気持ちはかわんないでしょ? だってさ、″恋人″じゃなくったって、実優ちゃんとゆーにーちゃんは″2人でひとつの家族″なんでしょ?」
それは私が言った言葉で。
でも捺くんに言われて、ひどく頭を殴られたような衝撃を感じた。
「″恋人″じゃなくっても″家族″には変わりないでしょ? しかもお互いが一番大切な、サイコーの家族なんでしょ?」
捺くんの優しい声。
「なかなかそこまで想いあえる家族ないよ? オレはそれだけでもすごい幸せなことだと思うし。それに実優ちゃんがゆーにーちゃんの男としての幸せを願うのなら、実優ちゃんだってずっと見守ってあげたらいいんじゃない? ゆーにーちゃんがいつか誰かと恋して、幸せになるのをさ」
「………ゆーにー……ちゃんが……実優以外……好きになっちゃうの……?」
思わず顔を上げて捺くんを見上げたら、捺くんはなぜか顔を真っ赤にさせてる。
「……捺くん……?」
「え、あ、ごめんごめん」
″実優以外″だなんて、んな可愛いこと言っちゃうんだもんなー。
って、ぶつぶつ捺くんが言ってる。
意味がわかんない私に、捺くんはまた「ごめん!」って謝ってから笑った。
「ゆーにーちゃんに恋人ができたら、それはそれで複雑?」
「………う……ん。なんていうか……想像つかない……」
「まぁそうだよね。まったくゆーにーちゃんへの気持ちがゼロってわけじゃないだろーし。でもさ……」
捺くんは私の顔を覗きこんで目を合わせてきた。
「運命の赤い糸ってあるでしょ」
私の手をとって、小指に触れる。
「この指からみえない赤い糸が出ててさ、それが誰かに繋がってる。実優ちゃんの場合、それがもし先生だったら。ゆーにーちゃんにだってまた別の人と繋がってるってこと」
「………」
「でもその糸を無視して実優ちゃんがゆーにーちゃんのそばに居続けたら、ゆーにーちゃんがほんとに結ばれる人と出会えなくなるかもしれないよ?」
それは考えてもみなかったことで、ツキンツキンって胸が痛んだ。
たぶん顔を歪めてしまった私に、捺くんが困ったように眉を寄せる。
「ごめんね、ちょっときつい言い方だったかも。まあでもさ、オレも赤い糸を信じて日々がんばってるわけさ。実優ちゃん以上に好きな子と出会えるようにって。だから、実優ちゃんもただ自分の″恋″する気持ちを認めてあげてもいいんじゃない? 先生が好きだって」
「………」
「先生が好きだってちゃんと打ち明ければいい。気持ちを認めてあげたらちょっとは落ち着くんじゃないかな? もし先生に告白してダメだったら、赤い糸は先生以外の、たとえばやっぱりオレとか? ゆーにーちゃんとかに繋がってるかもしれないしさ。まぁ先生がダメだったら、とりあえずオレと和でボコってきてあげるからね」
「……え……、ボコって……って」
「あはは。半分冗談! まぁほんとダメだったらオレと和とゆーにーちゃんとで敗者復活かな??」
「………」
捺くんは屈託なく笑ってて―――。
それに少しだけ、涙がひいてくのを感じた。
「って、なんか話ズレてきてる!? 大丈夫かな? あー! なに話してたかわけかわかんなくなってきたー!」
髪をグシャグシャとかき回しながら、捺くんはため息をついて。
「まぁなんていうかさ。オレが思うのはやっぱり実優ちゃんが自分の気持ちをちゃんと認めることが必要なんじゃないかってこと。認めて、そしてゆーにーちゃんと話あったほうがいいって思う。だってさぁ、さっきまでの実優ちゃんの話聞いてたら……めちゃくちゃ先生のことが好きですーって顔して話してんだもん。でも苦しそうでさ。ゆーにーちゃんじゃなくってもツライよ」
捺くんの手がごしごしと私の目元をこすった。
「実優ちゃんは笑ってるほうが可愛いよ? それに、ほら前言ったろ? 好きな男の前以外で泣いちゃだめだよって」
ふふっと悪戯っ子のような笑顔を浮かべた捺くんの―――唇が私の頬に触れた。
「……え……っ」
「いまのは相談料」
頬を慌てて押さえる私に捺くんはウィンクしてみせる。
そして目を細めた。
「ゆーにーちゃんだけじゃなくって、オレも和も、七香だって羽純ちゃんだって、実優ちゃんが幸せでいてくれたら嬉しいよ。たとえちょっと苦しい思いしたって、好きな人が一番幸せな笑顔でいてくれるのを見れた方が幸せだもん」
「………っ」
「って、ちょっとキザっぽく言ってみました」
照れたように捺くんは笑ったけど―――私は、さっきまでとは違う涙があふれてくるのを抑えることができなかった。