secret 109  嵐  

ずっと、頭が痛い。
卒業式だったから学校は早く終わって、私はまっすぐ家に帰った。
和くんや七香ちゃんたちが「顔色が悪い」って心配してくれてて。
「頭痛がひどい」って笑った。
薬を飲めば落ち着くかなって思ったのに、ちょうど頭痛薬が切れてて、仕方なく昼寝をすることにした。
ゆーにーちゃんのベッドに制服のまま寝転がる。
ベッドからはゆーにーちゃんの匂いがして、それだけで落ち着く。
私ってちょっと変態?なんて思いながらゆーにーちゃんの匂いをめいっぱい吸いこんで、眠った。
頭の痛みが少しでも治ればいいなって願いながら。




髪を撫でる感触にぼんやり目が覚めてく。
優しい手つきに、どうしてか切なくって泣きそうになった。
「………ゆーにーちゃん?」
「……うん。大丈夫? ずっと寝てた?」
「……ん。ちょっと頭が痛くって」
ゆーにーちゃんの手が額に触れる。
「熱はないようだね。薬は?」
「切れてた」
「買いに行ってこようか?」
「いい。ゆーにーちゃん、そばにいて」
手を伸ばすと、そっと握り締められて、ゆーにーちゃんが隣に横になった。
ぎゅっと抱きしめられて、頭を撫でられる。
「お腹空いてない?」
ゆーにーちゃんが訊いてくる。
そういえばお昼からなにも食べてないって気づいた。
だけどなにも食べたくない。
「大丈夫。………ゆーにーちゃんは減ってるよね……ごめんなさい」
ゆーにーちゃんが帰ってきてるってことは、もう7時くらいのはず。
学校から帰って来てからずっと寝てしまってたんだ。
なにも夕食の準備してなかった。
「いいよ。出前でもいいし、あとで適当に食べるから」
「……ごめんね」
「大丈夫だよ」
ゆーにーちゃんの胸元に顔を埋めているから、表情はわからない。
でもきっとゆーにーちゃんは優しく笑ってるんだろう。
私は暖かいゆーにーちゃんの腕の中でまた目を閉じた。
「ゆーにーちゃん」
「なに?」
「私、ゆーにーちゃんについてく」
「…………」
ゆっくり考えてって言われてたけど、最初から答えは決まってる。
私はゆーにーちゃんから離れられない。
ひとりになんて、なれない。
「………わかった」
ゆーにーちゃん、離さないで、どこにもいかないで。
結局″あの人″も――――いなくなっていくんだから。
「ゆーにーちゃん」
少しだけ顔を上げれば、すぐに唇を塞がれた。
熱く蕩けるようなキス。
それを、それだけを、ひたすら感じるようにして―――頭の痛みをやり過ごした。







***







それから数日たまに頭痛がひどくなったりしたけど、だいぶ落ち着いてた。
去年取寄せてた学校の資料なんかを見てこれからのことを考えてた。
ゆーにーちゃんは仕事が忙しいみたいで、まだ話し合ってないけど。
来月ゆーにーちゃんと一緒に向こうに行くのか、それとも私だけあとから行くのか、そういうのも決めないといけないし。
英語は苦手じゃないけど、喋れるとかじゃないからなぁ。
英会話教室とか行ったほうがいいのかな?
それとも向こうで実地で学んだほうがいいのかな?
とりあえずテレビで英会話の番組でも見ようかな。
なんてことばっかり毎日考えちゃってる。
「実優、また見てるの?」
学校資料を見てた私に、日曜日なのにスーツ姿のゆーにーちゃんが苦笑する。
「うん。だって海外なんて初めてだし、住むんだよ!? ドキドキするから、資料見て落ち着いてるの」
そう言うと、ゆーにーちゃんはやっぱり苦笑した。
「近いうちに時間とるから、ゆっくり今度話そう」
「うん!」
「今日はごめん。夕方からは仕事がらみのパーティに呼ばれてるから、帰りも遅くなると思うけど……お土産にケーキ買ってくるから」
「いいよ! だってホワイトデーのお返しは先週もらってるし」
「そうだけど。じゃあケーキいらない?」
「食べる!」
すかさず叫んじゃうと、ゆーにーちゃんは今度は楽しそうに笑顔を浮かべた。
くしゃっと軽く私の髪を掻き混ぜて、玄関へと向かう。
私もそのあとを見送りのために追って行った。
「行ってらっしゃい」
笑顔で言って、ゆーにーちゃんを見つめる。
「行ってきます」
ゆーにーちゃんも笑顔をくれて、そしてちゅ、と軽くキスを落とした。
「帰るとき連絡するよ」
「うん」
そうして、ゆーにーちゃんは仕事に行ってしまった。
私はリビングに戻って、広げていた資料を片づけた。
窓の外は雨雲で、昼からは雨だって天気予報で言っていた。
だから午前中のうちに掃除をしておこう。
洗濯機をまわして、朝食のあと片づけをして、掃除機をかけて。
こまごま動いているとなにも考えなくっていいから楽。
べつに、いつもなんにも考えてないけど……。
トイレ掃除をして、玄関先を雑巾で拭いて。
洗濯が終わったから乾燥機に移し替えて。
ただ黙々と家事をこなしていった。
日ごろ掃除しないところまで掃除して、なんだか大掃除でもしてる気分になってしまった。
でも自分の部屋も片づけようと思って掃除を続ける。
本棚の整理とか、いろいろ。
そして―――いつも開けない引き出しを、なにも考えずに開けて。
閉じた。
「―――」
頭痛が急にしてきて、慌てて部屋を出る。
首を強く振る。
けど―――脳裏に、シックな赤の小さな箱の、あの煙草の箱が、焼きついて離れない。
もうずいぶんとあの香りを嗅いでないのに、不意に思いだして鳥肌が立つ。
頭が、痛い。
バスルームへと行くと、乾燥機は止まってた。
だから洗濯ものを畳んで、自分の部屋には行きたくなかったから、ゆーにーちゃんの分を片づけにゆーにーちゃんの寝室に行く。
寝室には小さなウォークインクローゼットがあって、そこに整理ダンスとか置いてる。
洗濯物をしまって。
そして、なんで、開けたのか―――。
小物なんかをしまってる収納ケースを開けてしまった。
そこに、見覚えのあるメガネがあった。
先生との関係を解消したあの日、持って帰ってきてしまっていた、先生のメガネ。
―――頭が、痛い。
痛くって、頭が痛くって、涙が出てくる。
頭痛薬、あったっけ。
ああ、まだ買ってきてなかった。
どうしよう。
そうだ、買いに行こう。
そして―――捨ててこよう。
私は、メガネを持って、薬を買いに行った。