secret 102  その、爪痕  

頭が、ひどく痛い。
なにも考えたくない。
先生の―――煙草の香り。
安心できるって思ってたのに、いまは苦痛に感じる。
その匂いがしみ込んできそうで、いやだ。
逃げたい、そんなことさえ思ってしまう。
なのに身体が動かない。
捺くんから言われた言葉が重く全身を縛りつけてみたい。
私が捺くんに言った言葉に偽りなんてない。
ゆーにーちゃんが好き。覚悟なんて、とうにできてる。
一緒にいれるだけで、幸せ。それはまぎれもない事実。
だけど、苦しい。
ゆーにーちゃんに、会いたい。
大丈夫だよって、言ってほしい。
2人でいれればいいって、言ってほしい。
ぎゅっと自分の身体を抱きしめる。
先生はなにも喋らなくって、ただ煙だけが私のところに流れてきていた。
まるで酸素が薄くなってしまったみたいに、息苦しくてしょうがない。
″お騒がせしました″とでも言って、帰ろう。
この場から去りたい。
ああ、そうだ。七香ちゃんたちが図書室で待ってる。
………今日は帰るって……メールしていいかな。
「―――電話」
ぼんやり考えてると、不意に声がかけられた。
少しだけ視線を向けると、先生が煙を吐きだしながら続ける。
「電話したらどうだ? 声でも聞けば落ち着くんじゃないか」
「……え?」
先生の言ってる言葉の意味がわからなくて、ちゃんと先生を見た。
久しぶりに―――先生と喋る気がする。
「″彼氏″だよ。お前いま動けないんだろ。声だけでも聞いたら少しはマシになるんじゃないか」
全部、聞かれてたんだ。
息苦しさが、いっそうひどくなる。
まるで胸の奥に鉛でも押し込まれたみたいに、苦しい。
でも先生の言うとおり、声が聞きたい。
ゆーにーちゃんの声さえ聞けば、この息苦しさもなくなるような気がする。
だけど……。
「仕事中か?」
「……え、あ、たぶん……」
「忙しそうなら切ればいいだけだろ」
「…………」
「ああ、俺が邪魔か。まぁでもアイツにあとよろしくって言われたからな。教師としてはちゃんと落ち着くまでは見届けるよ」
「…………」
壁に寄りかかってる先生はそう言って、煙を追いながら窓の外へと目を向けた。
いつもと変わらない様子の先生。ただメガネはつけたまま。
私が動かないことには先生もこのままみたいだから……仕方なく、ケータイを取り出した。
まだ4時過ぎ。ゆーにーちゃんが仕事中なのに間違いはない。
ゆーにーちゃんの名前をディスプレイに表示させて、躊躇う。
だけど、発信ボタンを押した。
いま、ゆーにーちゃんの声を、どうしても聞きたいって思ったから。
tururururu....
発信音が鳴りだす。
1コール、2コール3コール……。
やっぱり、出れないかな……、そう思った瞬間、ケータイが手の中から消えた。
え、と思って見上げる。
いつのまにか傍に先生がいて、私のケータイを持ってて、そしてその手がケータイを切った。
切られる瞬間―――繋がったような音が、した気が、した。
「………せ」
驚きに開いた唇に、先生の唇が、触れた。
「……んっ」
ぎゅっときつく抱きしめられて、キスされる。
一方的な、キス。
口内を荒々しく這い回る舌。
「…………っ、……んん」
熱く奥まで這う舌に、あっという間に息が上がってく。
苦しくって先生の胸元を叩くけど、さらにがっちり抱きしめられた。
少しして唇が離れて、銀色の糸が引く。
だけどそれを見れたのはほんの一瞬で、また角度を変えて唇を塞がれる。
「ん……っ……ふ……」
頭の中がくらくらしてくる。
舌は絡みあってないけど、ただ翻弄されてるだけだけど、先生のキスはもう身体にしみついてる。
だから、身体が勝手に熱を帯びてく。
2度3度と角度を変えてキスされて―――、4度目。
先生の舌が私の舌を捉えた。
くちゅ、と水音が唇の端からこぼれる。
「っ……んん……っ」
熱く絡みついてくる舌。裏筋をなぞられ、あまく噛まれて、びりびりと全身に電流が走る。
激しいキスがどれだけ続いたんだろう。
頭がぼーっとして、真っ白になりだしたころ、ようやく解放された。
そして身体も。
ケータイを渡される。―――振動している、ケータイ。
先生は何も言わずに私に背を向けて階段を下りてく。
「せん、せ」
「早く出ろ」
「………っ」
振動し続けるケータイを開いて、受話ボタンを押した。
先生の姿が階下に消えてく。
『もしもし、実優? 電話した?』
「………ん」
『………どうかした? いま、学校?』
「………うん。ごめんなさい。仕事中に」
『いや、大丈夫だよ。なにかあった? ―――大丈夫?』
優しいゆーにーちゃんの声に、涙がこぼれた。
「なんでも……ないよ。声、聞きたかっただけ」
仕事中のゆーにーちゃんに心配かけるわけにはいかない。
『………実優』
「今日、早く帰って来れる?」
『………ああ。早く帰ってくるよ』
「うん。ごめんね……。あとでね……」
『実優?』
「…………」
『……早く帰るから』
「……うん」
ごめんなさい、って……電話を切って。
私は――――。
階段を下りて、先生のあとを追った。










「先生……っ」
準備室のドアを開けると、先生は片づけをしていた。
部屋の中には先生だけで、私が入っても見向きもしない。
「なんだ」
「あ、あのっ」
なんで、追いかけてきてしまったのか、よくわからない。
ただ―――、ゆーにーちゃんの声を思い出す。
そして、ゆーにーちゃんとした″約束″も。
「私……あの……」
和くんと捺くんに、私の気持ちを伝えて、だけど、先生には何も言ってない。
ただのセフレ、だけど。
でも、終わらせるための言葉を言わなきゃいけない。
「わた……し」
「………お前、馬鹿だろ」
ため息をついて先生が振り返った。
メガネ越しに、先生の冷めた眼が私を射抜く。
「なにをわざわざここまで来てるんだ」
「先生……、私……」
「それともさっきのキスが良すぎて続きをしたくなったか?」
ふっと鼻で笑って、先生は背を向ける。
カサカサと書類をまとめる音が静かに響いて、私はゆっくり先生に近づいた。
頭が、どうしようもなくずきずきするけど、言わなくちゃならない。
「………先生」
「………」
「あの、」
「仕事忙しいし、俺溜まってるからさぁ、さっきの続きしに来たなら歓迎だけど?」
からかうような口調に、苛立ちが沸き上がる。
「あの、先生! 私、もう……っ」
「もう我慢できないって?」
「ちが!」
「じゃぁ、触るな」
あと少しで先生の腕に触れる寸前、冷ややかに響いた声。
「………先生っ。話、聞いてください……」
目頭が熱くなる。目がかすむ。
なんでこんなに苦しいのかわかんない。
でも、言わなきゃ。
さっきのキスが、最後だって。
もう私と先生は―――。
だから、最後に、先生……ちゃんと顔を見て話したいよ。
「………せんせっ」
手を伸ばして、ぎゅっと先生の腕をつかんだ。
「………私」
「………触るなって、言っただろ」
「………っ」
「………ゲームオーバーだ」
低い声がして、ぐっと手を引き寄せられて、また―――キスが降ってきた。