#06 ファーストキス -3-


今日見にきた映画はファンタジックなアドベンチャーもの。
恋愛映画やアクション映画とか、もうすぐ夏休みということもあって、いろいろ話題の映画があっていたけどアドベンチャーものにした。
晄人が恋愛ものじゃなくっていいのかって言ったけど、なんとなく恋愛映画を一緒に見ると恥ずかしくなっちゃいそうな気がして他のにしたのだ。
そうしてよかったって今は思う。
映画が始まってどのくらいたったのか時計を見れないからわかんないけどハラハラドキドキであっというまにストーリーが展開していっている。
ところどころ笑えて、場内でも笑い声が響いて、隣にいる晄人も笑っててそれが嬉しかった。
ポップコーンの入った大きめの容器は私が持っていて、しょっちゅう晄人の手が伸びてくるのも、ちょっとドキドキしてそれも嬉しくって顔が緩んでしまう。
たまにこそっと映画へのつっこみを耳打ちされたり。
友達と見に来るのとは全然違う。
晄人の存在に気をとられながらも、映画に見入って、そして同じことを共有する二時間はとっても幸せな時間になった。
「―――面白かったな」
エンドロールが流れ始めて晄人が声のトーンを落として話しかけてきた。
まだ場内は暗いままだけどエンドロールを見ない人たちが少しづつ出て行っている。
「うん。すごく面白かった」
本当に面白くていまも映画の主人公に共感するように胸がドキドキしてる。
「ああ、な、あのシーンのさ……」
晄人が気にいったらしいシーンの話をしだして、それに笑いながら頷いて、エンドロールが最後まで終わってから私たちは映画館を出た。
映画の余韻を感じながら、でも晄人が私の手を自然に繋いだらどうしても全部の意識がそっちに行ってしまう。
ほんの一ヶ月くらいまでは喋ったこともなかったのに。
いまはこうして傍にいて、手を繋いでても信じられない。
だけど繋いだ手から伝わってくる温かさに本当なんだって思えて、晄人を見つめて実感する。
「あのな」
人波に流されるように映画館を出て行っていたら不意に晄人が私を見てため息をついた。
「なに?」
目が合って、どうしたんだろうと首を傾げる。
晄人はまじまじと私を眺めると小さく笑って顔を近づけてきた。
思わず後退りした私に晄人の目がからかうように光る。
「俺のこと見つめすぎ。好きでしょーがないってのはわかるけど、あんまり見つめられるとさすがに俺も照れるんだけど?」
「………えっ、あっ……」
言葉の意味を理解して、羞恥に顔が熱くなるのがわかった。
「ごめんなさい」
意識しなくてもきっと晄人のことしょっちゅう見つめちゃってたんだと思う。
慌てて謝ると軽く頭を撫でるように叩かれた。
「ごめんじゃなくって、そこは"だって大好きなんだもん"とか言うべきだろ」
真面目な顔をした晄人の言葉に私は少し唖然とした。
「………そ、そうなの?」
恋愛経験値がすごく少ないからわからないけど、そう言うものなのかな。
人通りが多いところで立ち止まっていると、晄人の容姿で注目を浴びるのがさらに増えるから気になってしまうけど、晄人は真面目に言ってるから言わなくちゃいけないんだよね?
「ほら、言ってみろ」
促されて視線を泳がせる。
「………だ、だって……大好……」
"だもん"なんて本当に言うのかな。
それより私がそんなこと言うのって似合わない気がする。
でも言わなきゃ。
でも恥ずかしすぎて言えないでいたら晄人がすっごくニヤニヤしてるのに気づいて―――口を閉じた。
「もう言わない!」
顔を背ける私に、ええ、と不貞腐れたような晄人の声がする。
「なんでだよ」
「なんでも!」
ちらっと見上げた晄人は不満そうな声をしていたのに、やっぱりニヤニヤしていた。
ばかって心の中で呟いて、止まっていた足を再び動かしはじめた。
晄人は謝るでもなく私と並んで、笑ったまま離れていた手を繋ぎ直す。
からかわれたことが嫌だったとかじゃなくってただ恥ずかしかっただけだから、ちょっとだけ指を絡めたら頭上で吹き出す声がして、さすがにムッとして手を離そうとした。
だけどぎゅっと指を絡められてそのまま。
抗議するように視線を上げたら晄人の顔がいきなり近づいてきて身体を竦めた。
形のいい唇が寄せられたのは私の耳元。
「陽菜チャンがかわいーからからかってみた。ごめんな?」
謝りながらも悪びれてない声。
耳元で囁かれたから吐息とかかかって、ものすごく頬が熱くなるのがわかった。
傍を通っていた女の子たちがきゃあきゃあ言ってるのも聞こえてきて一層恥ずかしい。
一枚も二枚も上手の晄人に私が言い返せることなんてなにもないから、「知らない」とそっぽを向く。
でも耳まできっと赤くなってると思うから突っぱねたって説得力ないんだけれど。
「……ケーキ、食べに行こう」
恥ずかしさと―――結局はふわふわドキドキがとまらない心臓を誤魔化したくってちょっと早歩きに晄人の手を引っ張った。
晄人の忍び笑いがしていたけど、それはもう無視して歩いて行った。





***





なんで楽しい時間が過ぎるのは早いんだろう。
電車の窓の外はまだ明るいのに時計の針は6時過ぎを指している。
私と晄人を乗せた電車が向かうのは私の家方面。
駅に着いたらもうお別れ。
そう思ったらどうしても寂しくなってしまう。
流れゆく風景を見つめていたら、髪を引っ張られた。
見上げると晄人が目を細めて今度は頬を抓ってくる。
「や、なに?」
痛くはないけどびっくりして声が震えた。
だって晄人の指が触れている、たったそれだけで気恥ずかしくてたまらなくなってしまう。
視線を泳がせながら電車の冷たい壁に手を置いて少しだけ顔を背ける。
すぐに晄人の指は離れていって、ちょっと寂しくなった。
「顔」
「え?」
私の顔を覗き込むようにして、悪戯気に晄人は口角を上げる。
「"もうすぐ晄人くんと別れるのが寂しい"って顔してる」
「……」
一瞬その言葉の意味を考えて、一気に顔が熱くなるのを感じて頬を抑えた。
「してないよ」
「ふうん?」
強がって言ってみたけど晄人は信用してないみたいで笑ったまま、また私の髪を軽く引っ張った。
「なに?」
「送ってやるからそんな顔すんなって」
しょうがねーから、と晄人が屈託なく笑う。
視線が合って、私は言葉の代わりに尋ねるように見つめた。
「家まで送ってやるよ」
それを察したように晄人がくるくると私の髪を指に巻きつけながらそう言った。
「……でも。遠いでしょ、晄人の家から」
「別に。暇だし。それに」
少し身体を傾けて晄人の綺麗な顔が私の耳元に来る。
「彼氏だし、な?」
―――晄人はズルイと思う。
真っ赤になる私に晄人は「トマトみたいな顔だぞ」なんておかしそうに笑っていて、からかわれたと私は少し怒った振りをするけど。
でも、ズルイ。
付き合ってもらっている、っていうのを忘れそうになる。
意地悪だけど優しくて"彼女扱い"されて―――ドキドキしてしまう。
今日一日何回もからかわれて顔赤くしちゃってって、そんなのばっかりだったような気がする。
晄人は壁に寄りかかって、今日の晩飯なにかな、とか言っていて、私は熱くなった頬を冷ますように窓の外のどんどん変わっていく景色を眺めていた。







「あー、早く夏休みならねーかな」
電車から下りて家までの帰り道。
梅雨の湿気を含んだ蒸し暑い空気に手うちわであおぎながら晄人がぼやく。
もう片方の手は私と繋いでる。
暑いから汗ばんでて、それが不快じゃないかなって心配だけど離せなかった。
「そうだね」
ランチのときに夏休みの予定を話していたことを思い出して、それだけで胸が高鳴った。
「……あの、晄人」
「なんだ?」
声をかけたけど、なんとなく恥ずかしくて言い淀んだ。
なんだよ、って晄人が笑う。
「えっと」
早くしないと着いちゃうけど、別にすごく訊きたいことでもないっていうか、改めて訊くのもどうなのかなというようなこと。
「なんだよ、ほら」
繋いでいた手をぎゅっと握りしめられる。
夏の暑さとは違う熱さにのぼせそうになりながら、
「あのね……別に大したことじゃないんだけど」
「ああ」
「あの……夏休み……花火大会とか海、行くんだよね」
ほんっとうに大したことないこと。
でも私にとっては本当なのかなっていまさら思ってしまって確かめたかった。
晄人は首を傾げて私を見下ろす。
「なに行きたくない?」
「ち、違う! 行きたい! あ、あのほら海行くなら水着買わなきゃいけないなって思って」
それに―――浴衣も新調したいかも。
本当は水着も持っているけどわざわざ確認した自分が恥ずかしくて誤魔化すように言っただけ。
「ふーん。水着か」
「う、うん」
「んじゃ、水着今度一緒に買いに行くか」
「えっ」
晄人と出かけられるのは嬉しいけど、水着を一緒にっていうのはちょっと恥ずかしいかも。
つい繋いでいた手に今度は私が力を込めてしまう。
「なに、イヤか?」
「そうじゃないけど」
「俺が選んでやるよ」
「……え」
正直晄人に選んでもらうのは微妙だなって思ってそれが声に出てしまってた。
ほんの少し晄人がムッとしたように私を見つめる。
「なんか不服あるのか?」
「だって」
「なんだよ」
「晄人が選ぶのって……派手そうな気がするんだもん」
「お前な、俺を何だと思ってんだよ。俺は派手よりシンプルなのが好きなんだぞ? 陽菜だったら、そうだな」
じろじろと晄人が私の全身を見てくる。
自意識過剰だってわかってるけどそれさえも恥ずかしくて目が合わないように視線を揺らした。
「んー、ビキニの白かな」
「白?」
「嫌いか?」
「白って太って見えないかなって思って」
ビキニは着るんだろうけど、白って案外ハードル高い気がする。
「平気だろ。お前細いし」
「……そんなことないよ」
海のことを話していて、ダイエットしなきゃって気づいた。
「とりあえず、次の休みに見に行くか」
「……うん」
一緒に水着を買いに行って、ダイエットして、海に行く。
別に普通のことなんだろうけど、晄人が関わってるっていうだけで全部特別になる。
夏休みは毎年楽しみだけど、こんなにも待ち遠しいのは初めてだった。
浮かれている間に、見慣れた建物が見えてくる。
「―――……うち、あそこ」
住宅街の中の一軒。
とりたてて珍しさもない普通の家。
自分の家が見えてきて―――こんなに寂しくなるのなんて生まれて初めてかもしれない。
着いちゃったら、繋いでいる手も離さなきゃいけない。
当たり前のことだけどもっと繋いでいたいのにって思ってしまう。
だけどあっという間に数メートルの距離では到着してしまって。
「今日は楽しかったな」
「うん」
繋いでいた手が離れていきそうになって、とっさに掴んでいた。
ほんの少し驚いたように晄人が私を見下ろす。
我に返って慌てて手を離した。
「そんなに寂しい?」
「……」
俯いた私に笑いを含んだ晄人の声がかかる。
見なくてもどんな表情してるのかわかる。
きっと今日何度もみた意地悪な顔をしているはず。
「ちょっと寂しい」
本当は"ちょっと"じゃない。
半分素直に、半分見栄を張ってみた。
「ふうん」
落ちてくる晄人の声はやっぱり少し笑ってる。
じめじめとした熱い空気に肌が汗ばんでしかたないのに俯く視界に映る晄人の足元にこのままもうちょっと一緒にいたい、なんて言いたくなってしまう。
「……でもまた学校で会えるし」
平気、と自分に言い聞かせる言葉。
晄人の返事はなくって、ちょっとウザかったかなって心配になっていたら名前を呼ばれた。
「陽菜」
「なに?」
「こっち向け」
言われるままに顔を上げる。
そして晄人の顔が近づいてきて―――。
見惚れてしまう顔が視界を覆ったかと思うと唇に温もりが触れた。
「……」
一秒、二秒、三秒……そのくらいだと思う。
気づいたら晄人が首を傾げて私を見下ろしていて、
「おい、大丈夫か」
と額を小突かれた。
「……えっ」
い、いま、私……キス……された?
「もしかして初めてだった?」
「……えっ。……うん」
前、少しだけ付き合っていた人とはキスはしなかった。
清い交際のまま呆気なく終わって、それから別になにもなく高校二年になっちゃって。
だから今のが―――ファーストキス。
ゆっくりじわじわその事実が認識されてきて同時に動悸が激しくなって、顔が今日一番熱くなるのを感じた。
「ふうん」
「……ファーストキスもまだなんて、遅いよね。いまどき」
恥ずかしさを隠すように言ってみたけど、声がすごく裏返ってて余計に恥ずかしくなってしまう。
蒸し暑いのと火照って熱いのとで掌が汗ばむ。
「いーんじゃねーの。人それぞれだし。ま、ゆっくり進めばいいさ」
晄人はポケットに手を突っ込んで、どことなく優しく感じる笑みを浮かべた。
―――それはゆっくり私と一緒に進んでくれるって思っていいの?
聞き返せなかったけど、心は勝手にそう受け止めてしまおうとしてた。
「……うん」
自然と頬が緩んで晄人を見つめた。
目が合うと晄人はきょろっと左右を見て、もう一度私にキスを落とした。
「―――次はちゃんと目、瞑れよ」
からかいを含んだ声がして、あ、と目を瞬かせてるあいだに晄人はポケットから片手を出して軽くふった。
「じゃあな」
「あ、うん。あの送ってくれてありがとうっ」
「いいよ。ほら、家入れ。お前ずーっと見送りそうだから」
「えっ」
言われてみれば、たぶんきっと去っていく晄人の姿が見えなくなるまで立っていそうな自分が簡単に想像できる。
「……そんなことないけど」
なんて言いながら私も手を振って、
「晄人、またね」
「ああ」
笑って別れて家に入っていった。
お母さんが夕食の準備をしているらしくていい匂いが充満してる。
我が家の空気に落ち付きながらそれでもやっぱり寂しくなる。
ただいま、とリビングに声をかけてから二階の自室に走った。
そして窓を開けて通りを見てみる。
足が早い晄人はもう結構遠くまで歩いてたけど、小さくその背中が見えてそれだけで嬉しい。
どうしよう。
毎日、毎日、好きって気持ちが大きくなっていってる気がする。
ずっと一緒にいたい。
なんてことを考えちゃだめなのかもしれない。
でも、唇にそっと手を当てて、晄人が傍にいてくれる日々が少しでも長く続けばいいのにって心から願った。