The Farthest Eden
04

その日は寒波が襲ってきてまさかの雪。
昼を過ぎたいまは少し落ち着いてきているけど、さっきまでは吹雪いていてダウンが少し濡れてしまってた。
しかも海の傍にいるとさらに寒い。
砂浜へ降りる階段に腰掛け、買ってきたばかりの缶コーヒーを飲む。
この場所に、海に来てもう1時間。
防寒対策しては来たけど寒いもんは寒い。
だけど雪がちらつく海は綺麗でそれだけが救いだった。
手の中にある缶コーヒーで暖をとりながら、ただ耳を澄ませて待った。
華奈が、来るのを。
あの日、文川に渇をいれられた日の夜、俺は華奈の友達の未来ちゃんに電話した。
華奈は電話に出てくれないしメールしても見てるのかもわからない。
だから未来ちゃんに電話して、華奈に会えるようセッティングを頼んだ。
『お兄さん、家出るんですか?』
どうしても話がしたい、と言ったら未来ちゃんが訊いてきて、俺は―――頷いた。
『そっか。……お兄さんは華奈がすっごくお兄さんのこと好きって、ちゃんと知ってますか?』
華奈はブラコンだとみんなが知っているけど、親友の未来ちゃんのその言葉はそれとは少し違うように俺の中に響いた。
『知ってる』
もしかしたら……、という想いが過る。
華奈はもしかしたら未来ちゃんに俺とのことを話しているかもしれない、という気がした。
もしそうだとしても俺はその可能性を信じることができなかったと思う、昨日までなら。
だけど文川と話して、全員が全員否定するわけじゃないんだってわかった。もちろんそれは極々一部なんだろうけど。
『……未来ちゃん、あのさ、俺は』
不安で、躊躇いもした。
だけど、華奈の親友の未来ちゃんなら、華奈が信頼している子なら、と俺は思って―――。
『華奈が好きだから、家を出たって手放したりしない。だから、頼む。華奈に俺と会うように説得してくれないか』
そう、言った。
未来ちゃんは沈黙してて、
『俺は華奈を愛―――』
俺の気持ちを分かってもらうために続けようとした。
『お兄さん、ストップ!』
そしたら未来ちゃんが慌てて遮ってきて、苦笑された。
『それ私に言われても困るから。直接華奈に言ってあげてくださいね。華奈って強がりだけど、ものすごく不安でいっぱいだから、ちゃんと安心させてやってください』
私の理想のカップルなんで、と未来ちゃんが続けて、俺は思わず電話を落としそうになった。
―――恥ずかしさで。
そのあと少しやり取りして電話を切って、未来ちゃんからメールが入ったのは翌日。
『今日は無理そうだから、明日いいですか? 待ち合わせ場所とか決まってたら教えてください』
それに返事を返して、そして今日。
行こうと約束していた海に来た。
ダウンのポケットからケータイを取り出して時間を見る。
もうとっくに缶コーヒーは冷たくなって、時間はさらに一時間経とうとしていた。
絶対行くようにさせます、と未来ちゃんは言ってくれたけど。
さすがに二時間も寒さと海風にさらされてると不安になってくる。
でも……何時間でも待つけど。
「……馬鹿じゃないの」
ぼうっとしていたら、不意に後ろで聞こえた声。
それはずっと待っていた声で、勢いよく振り返った。
マフラーに顔をうずめた華奈が眉を寄せて不機嫌そうに階段の上から俺を見下ろしている。
立ち上がってそばに駆け寄ろうとしたけどそれより先に華奈が降りてきて俺の隣に座った。
人二人分ほどの距離を開けて。
「馬鹿じゃないの」
また同じことを呟く華奈の横顔をじっと見つめる。
海を眺める華奈の顔はえらく白くて、頬のあたりが赤くなっていて―――……。
「華奈、お前」
まさかずっと前から来てたんじゃないかって気がしてその頬に手を伸ばした。
「触んないで」
だけど届く前に冷たい華奈の声にその場に下ろす。
「私は話をしに来たんだから」
ぎゅっと唇を噛みしめる華奈は強く海の方を見据えているけど、いまにも泣きそうな気がした。
「華奈」
そっと呼びかける。
華奈は俺を見ることはしない。
俺は深呼吸をして、ゆっくりと口を開いた。
「俺、家を出る」
瞬間、華奈の唇が微かに震えるのが、見えた。
ぎゅ、とその震えを隠すようにさらにきつく唇を噛みしめているのがわかる。
抱き締めたい衝動にかられるけど、いまは我慢して先を続けた。
「でも、それは華奈が嫌いになったからとか、別れたいとか、そう言うことじゃない」
うまく伝えきれるかわからない。
いまでさえ、それがベストなのか俺にはわからない。
たくさんの矛盾もある、だけど、決めたこと。
「ケジメをつけたい。このままじゃいけないって思ったんだ。毎晩華奈の部屋に行って、親の目を盗んで抱きあって。それじゃ、ダメだって思った」
華奈は黙っている。
でもその目が何度も瞬いていて、必死に言いたいことを我慢しているのが伝わってくる。
「隠れて二人だけの時間を持ったって、限界は来る」
階下にいる両親を気にしながら華奈の部屋に行って過ごすひと時。
とてつもなく甘い時間だけど、罪悪感に押しつぶされそうな時間でもあった。
「だから俺は家を出て。そして―――父さんと母さんに、俺達のこと、話す」
海風がひときわ強く吹いて、俺と華奈の間をすり抜けていく。
華奈の髪が揺れ、その顔が俺のほうへと向けられた。
「………え?」
驚きに目を見開いた華奈に、俺は小さく笑う。
「俺と華奈の関係は……不本意だけど一般的には受け入れてもらえられないものだろ。だから関係のない人に会えて俺達のことを言う必要はない。けど―――父さんと母さんは別だろ」
でも、と不安げに華奈の瞳が揺れる。
「俺は隠しておきたくない。たぶん、傷つけることになるし、反対される。だけど俺……がんばるから」
不安だと思う。
引き離されるかもしれない。
もしかしたら二度と会えなくなるかもしれない。
それは最悪の仮定だけど、最悪さえも起きておかしくない。
「華奈は……居ずらいかもしれないけど、俺……ちゃんと華奈とのこと認めてもらえるように頑張る」
何年かかってでも、と続けると、華奈が目を潤ませて俺を見つめた。
「………でもっ。認めてもらえなかったら? 会えなくなったら?」
不安がひしひしと伝わってくる。
俺だって、不安でたまらない。
素直に言うことが正解だとは限らない。
隠しておいたほうが、両親にとっては幸せかもしれない。
俺達の行為は家族を壊すことになるかもしれない。
でも、それでも―――……。
『ビビってんじゃねえよ』
文川の言葉が浮かんで、それを噛みしめながら華奈に手を伸ばした。
耐えきれずにこぼれおちた涙をぬぐってやる。
「最悪のときは攫いに行く」
「………っ」
「でも、そうならないように、説得する。俺の自己満足だけど、父さんと母さんには俺と華奈のこと認めて欲しいんだ。だって俺達が出会えたのは、父さんと母さんが俺達を生んでくれたからだろ?」
華奈は息を止めたように一瞬動きを止め、そしてぼろぼろと涙をこぼしだした。
華奈の手が俺に伸びる。
その手を掴んで、引き寄せて、抱き締めた。
数日ぶりに触れた華奈は温かく、だけど頬は冷たくて、熱を分けるように頬を擦り合わせた。
「ごめんな、勝手にこんなこと決めて」
「……ほんと、だよっ」
「華奈」
「なにっ」
嗚咽をこぼす華奈の顔を覗き込む。
流れ続ける涙の道筋に唇を寄せる。
「華奈、好き。愛してる」
囁けば華奈は一層涙の量を増やして、俺にしがみついた。
「私も、大好きっ。愛してるもんっ」
「ん」
そして今度はその唇に、唇で触れた。
寒さかそれ以外か震える唇を何度も合わせて、舌を絡める。
冷たい中の熱さがリアルで、俺達は夢中になってキスを交わした。
雪のせいか人気のない海で、俺達は誰の目も気にすることなく長いことキスして抱きしめあった。
「……あのさ、華奈」
「……うん?」
さっきまでとは違う熱で頬が赤らみ目を潤ませてる華奈。
その目を見つめながら、俺はちょっとだけ口ごもって、言った。
「あのさ……これから二人きりのときは……名前で呼んでほしいんだけど……」
きょとんとして華奈が目をしばたたかせる。
実はそれは俺が抱えてた不安のひとつだったりする。
「……その、華奈……えっと……夜……スるときも、その……"お兄ちゃん"としか呼ばないだろ……? だから……名前で呼んで……」
「いいの?」
「え? あ、うん」
「尚っ」
あっさり呼ばれて、びっくりしながらはじめて呼ばれた華奈からの名前に馬鹿みたいに顔が赤くなるのがわかった。
「本当はずっと呼びたかった……。でも、呼んじゃいけないのかなって思って……」
「……え?」
「だって……尚が家族大事にしてるの……わかってたから……。好きって言ってくれても私が名前で呼んで……"妹"じゃなくなったら、嫌われるんじゃないかと思ってたの」
「………そんなわけないだろ」
思わず苦笑して俺は華奈の頭を撫でた。
「それにそうだったら、俺マジでただのちょっといきすぎたシスコンになっちゃうだろ」
俺は華奈だから好きなんだ。
恥ずかしいけど、伝えたら、私も、と華奈からキスをくれ、またしばらくキスをしていた。






「そろそろ行こうか」
1時間近く話しこんで、来てから3時間は海に居たことになる。
さすがに身体は冷え切ってるし、華奈の手をとって立ち上がった。
「……も、帰るの?」
しゅんとした様子で華奈が上目遣いに俺を見る。
ひとつひとつの仕草が俺にはとっても可愛く思える。
「えーっと……」
見つめられて照れるのと、そしてもうひとつ切りだすことができないことに俺は言い淀んでしまってた。
「なに? なにかあるの、尚?」
「………あ、の…………ル」
「え?」
「……ホテル、取ってる。あ、でも安いところだけど!」
驚く華奈に、俺は焦ってテンパって顔を赤くしながら俯いた。
「華奈は今日まで未来ちゃんちに泊るってことにしてる。俺も……友達んちに泊るって言ってきた」
「……それって」
じっと華奈の視線が向けられてるのを感じてどうしようもなく恥ずかしい。
「隠れて付き合うのがいやだとか言ったのに、矛盾してるかもしれないけど……俺……」
本当にビビりというかはっきりできない自分に嫌気さえ感じながら、小声で言った。
「華奈を……抱きたい」
「………」
「………」
「………」
「あ、でも、いやならっ」
「嬉しい、尚」
ぎゅっと繋いでた手を握りしめられ本当に嬉しそうに微笑まれて、緊張でガチガチだった身体から力が抜ける。
「いいの、か?」
「ていうか、私はいつも拒否されてたほうなんだけど?」
「いや、それは……」
華奈が悪戯っぽく笑って、俺の手を引く。
「寒いし、早く行こう! あ、お腹すいたしとりあえずご飯食べたい」
「……そういやそうだな」
俺達は互いを見やって、笑いあって手を繋いで海を後にした。









そして軽くファミレスで食事をして予約していたホテルにチェックインした。
まだ夕方5時前だったけど、雪のせいか外は暗い。
ダブルベッドが一つの思ってたよりは広い室内で、気づけばベッドの上にいた。
二人きりになったら触れずにはいられないから。
たわむれるように触れ合って、抱き締めあって、何度もキスを繰り返して。
毎夜華奈の部屋で触れ合っていたとき以上に、身体が熱く昂ぶっていた。
「お兄ちゃん……」
潤んだ華奈の目は不安はなく、喜びだけで、だからホッとする。
華奈は俺以外と付き合ったことはない。
すべて―――初めて。
できるだけ痛くないようにしてやりたい。
丹念にその身体を愛し、その身体が十分に潤うまで待った。
そして俺達は―――結ばれた。
「尚…っ」
「大丈夫か?」
「うん……」
嬉しい、と華奈は痛みに顔をわずかに歪ませていたけど微笑んだ。
ずっと越えられなかった、越えることができなかった一線。
一線のその先はとても甘くて、愛おしくて、幸福だった。
「……華奈」
「なに?」
「……前なんで俺が一線を越えないのかって聞かれたときに"怖い"からだって言ったの覚えてるか」
戸惑うように華奈は瞳を揺らし頷いた。
「俺、まじで怖かったんだ。一回華奈のこと抱いたらもう絶対手放せないってわかってたから」
一度抱いてしまえば、箍が外れてしまうのは目に見えてた。
きっとのめり込んでまわりのことなんてどうでもよくなってしまうってわかっていた。
でも、いまは、きっと大丈夫だと思える。
「手放せなくなっていいよ……っ。私も絶対離さないから」
「……うん。ずっと一緒にいような」
たとえ、どんな障害がこの先待っていても。
なにがあっても、絶対最後は二人でいられるように。
華奈の手が俺の背中に回って、俺は抱きしめ返した。
それから、笑いあって、熱に溺れて、溶け合う。
俺がこの世界で一番大事に思える華奈と二人で見るのは最果ての、俺達だけの楽園。
「……華奈、愛してる」
「……尚」
隙間なんかないくらいに抱きあって、飽きずにキスをし続けた。
そしてその日。
俺達は初めて朝まで一緒に寝た。
寄り添って、手を繋いで、眠りについた。







END.