The Farthest Eden
01

―――深夜一時。
たくさんのヌイグルミがベッドサイドに並べられ、シーツは薄いピンクで統一されている。
シングルのベッド。
一人寝れば十分のその狭いベッドで、俺と―――妹は抱き締め合う。
一線を越えることなく、妹を高みに押し上げ、淫らに乱れた呼吸を唇で塞ぐ。

―――お兄ちゃん。
―――なんだ?
―――……シないの?
―――……また今度な。

越えられない、境界線。
俺の言葉に途端に華奈の熱で潤んだ目が泣きそうなものに変化して、不安げに揺れるのを見つめながら、その不安を取り除くようにきつく華奈を抱き締めた。
好きだ。
と、そう囁いて、だからこそゆっくりと進もうと告げる。
華奈は不安のかけらは残したまま、それでも小さく頷く。
そしてキスをねだる。
華奈の心が和らぐようにキスを落としながら、その身体を抱き締める。
大事だからこそ―――最後の一線を越えることができないでいる、俺。
欲しい、という気持ちはいつも境界線ギリギリまでせり上がってきている。
だけど、結局は華奈の絶頂に耐える顔を見て、終わる。
しばらくキスを続け、眠りにいざなうように華奈の背を撫でた。
それから華奈が眠りにつくのを見届けて―――隣の自室に戻った。
紛れもなく血の繋がった妹のことを想い、その内の熱さを思い出して一人欲を吐きだして、俺も眠りにつく。
それが俺たちの毎日だった。









日倉尚、日倉華奈。
紛れもない兄妹。
生き別れでも、再婚でもなんでもない、ごくごく一般家庭に生まれた普通の兄妹。
俺達は年子、それもよくあること。
両親は不仲でもないし、生活に何の不満もない。
だけど―――俺は華奈に恋し、華奈も俺に恋をしてしまった。
平凡でしかなかったはずの人生の、それが最大の非凡で。
"兄妹"というしがらみは俺と華奈を―――いや、俺を雁字搦めにしている。
一線を越えきれない俺と。
一線を越えるのを望んでいる華奈。
俺と華奈の関係は秘め事を含んではいるけれど―――どこまでも平行線だった。












「ごちそうさまー!」
食卓に華奈の元気な声と、同じく声そのままに覇気よくパンと手を叩く。
俺は食卓に並んだベーコンエッグをフォークでつつきながら洗面所に向かう華奈の後ろ姿をちらっと見た。
俺と同じ高校の制服。俺はあと1カ月で着なくなるけれど、華奈はあと一年間着る制服。
残りわずかしかない高校時代を目に焼き付けるようにその姿を目で追った。
リビングのドアがしまり、トーストの残りにベーコンエッグを乗せて口に詰め込んだ。
「ごちそーさま」
とキッチンにいる母親に向かって言って、俺も洗面所に向かった。
歯を磨いている華奈と鏡越しに目が合う。
小さく笑いあって、華奈が俺に歯ブラシを渡してくれる。
無言で、だけど空いたほうの手を繋ぎ、指を絡めながら歯磨きをする。
少しして足音が近づいてきて俺たちは手を離した。
洗面所に入ってきたのはオヤジ。
でかい欠伸をしながら歯を磨きだすのを横目に見て、俺は先にうがいをすませると一旦部屋に戻った。
それから15分後、
「行ってきまーす」
華奈が言って、俺もやる気なく同じセリフを吐いて自転車をこぎ出した。
俺の通う高校は自転車で10分ほどのところにある。
俺は自転車通学で、そして華奈は―――。
「寒いねー」
自転車の、俺の後ろに座ってる。
「そうだな」
華奈の部屋で過ごす夜以外、俺たちは兄妹という枠にあって、まわりは当たり前だけど俺たちを"兄妹"として見ている。
だから自転車の後ろに座る華奈は俺の制服を少し掴んでいるくらいで抱きついたりはしてない。
そもそも兄妹二人乗りで自転車通学するだけでも、華奈が入学してきたときはいろいろ言われたりもした。
俺は友達に"彼女"なのかと冷やかされたし、シスコンとも言われたし、華奈も華奈で入学したばかりだったから周りから好奇の目で見られたりした。
だけど仲がいい兄妹だと知れ渡ればそれも問題なくなる。
近づきすぎることはできないけど、それでも少しでも近くにいたい。
そう言った華奈の希望でずっと自転車通学を続けていた。
「ね、今度どこか行きたいな。電車乗り継いで遠くに」
「……そうだなー」
2月に入り寒さはピークになっている。かなり冷たい風を頬に受けながら前だけを見つめる。
知り合いにあわないような遠くで―――普通の彼氏彼女のようにデートしたい。
華奈の気持ちはわかるから、以前は月に一回はどこかへ足を延ばすようにしていた。
「合格発表、来週だよね。だから……そのあとの3連休にどこか行かない?」
俺が受験生ということもあってなかなか出かける暇もなかったけど、推薦入試の結果がもうすぐ出て、それ次第ではひと段落する。
大丈夫だろうと言われてはいるけれど、念のために一般入試も受けるようにしているからまだ受験勉強は続けていた。
「うーん……合格すればいいんだけどな」
「大丈夫だよ! だって文っちも大丈夫って言ってたよ!?」
文っち―――っていうのは俺のクラスの担任の文川。
「……文川の言うことなんてアテにならないからな」
教師のくせになんでも適当主義の文川の性格を思い出して俺は苦笑交じりに返事をする。
「………わかった。じゃあ合格したら……ね?」
「ああ」
2月の3連休、華奈がこだわっているのはたぶんバレンタインが近いかもしれない。
兄妹で同じ家に住んでいるんだから一緒にバレンタインを過ごすにしても"恋人"として二人きりで過ごす時間が欲しいんだろう。
「合格してなくっても、いまさらジタバタしてもしょうがないし……。一日くらいどこか行こう」
それに俺だって―――二人きりで過ごしたいのは一緒だった。
「ほ、本当?」
弾んだ華奈の声がすぐに問い返してきて、その素直さに頬が緩んだ。
兄妹だからいろんなことが制限されてる。
だから華奈が喜んでくれると嬉しい。
「ほんと。海でも行く?」
「海?」
華奈が身を乗り出して俺を見上げる。
落ちるなよ、って笑いながら頷いた。
「そ、海。冬なら人もいないだろうし」
「そうだね!」
「のんびり散歩して飯でも食って……」
「行く、行く!」
華奈は弾んだままの声で言うとぎゅっと腰に抱きついてきた。
「華奈」
もう学校の近くまで来てて、だんだんと生徒たちも増えてきてる。
人の目を気にして俺は戸惑うように華奈を呼んだ。
「あと5秒だけ」
背中に華奈の体温を感じながら5秒数える。
きっと長くかかるだろうと思ってゆっくり数えていた5秒は、意外に早く終わって華奈の体温は離れていった。
離れてしまえば冷たい風が俺達の間に入り込み、寒くて当たり前だったのに余計に寒さを感じる。
"兄妹"でさえなければ誰の目も気にせずに華奈をしがみつかせていたのに、それもできない。
ブラコンだ、シスコンだとすでに友達からは言われているけど、それでもどうしても人目を気にしてしまうのは俺の弱さだった。
好きでたまらない。
だけどできれば俺達の関係を否定されずに祝福されたい。
そんな甘いことを考える俺は、バカなんだろうか。
華奈への想いと、華奈からの想い、そして"常識"というものに俺の心はゆらゆら揺れていつも定まらない。
「ありがと、お兄ちゃん」
やがて学校へついて自転車置き場で華奈が降りた。
「ああ」
「華奈ー! おっはよー!」
「未来ちゃん、おはよ!」
華奈の友達で自転車通学の未来ちゃんがやってきて、華奈は俺に手を振ると二人校舎へと去っていった。
俺はそれを見送って遅れて校舎へと向かった。







***




俺と華奈の関係が始まったのは華奈が高一、俺が二年のクリスマスだった。
両親は結婚20周年目でふたりきり2泊の温泉旅行に行っていて、家には俺達だけだった。
想いを告げることはしていなかったけど、なんとなくお互い気持ちが通じているのはわかっていた。
それがおかしいことなのか、俺にはわからない。
物心ついたときから一緒にいる華奈。
お前が守ってやるんだぞ、と父さんから言われた言葉。
可愛くてしょうがなかった―――女の子。
"妹"だけど、俺にとってはきっと最初から特別な存在だった。




***







一般的に禁忌とされる俺と華奈の関係を抜きにすれば俺達の"日常"はいたって平凡だ。
俺達の関係を知る人はいない。
ただシスコンで、ブラコンだと冷やかされるだけ。
「おはよー」
2月に入り3年は自由登校になった。
だから教室にはちらほら空席もある。
俺はもう華奈と登校するのもあと1か月もないから出来るだけ学校に来たいと思っていた。
「はよ〜」
俺の前の席に友人の有村がやってきた。
「おはよ」
有村はバサッと俺の机の上にバイトの情報誌を載せて読み始める。
こいつは専門学校に行くのがもう決まっていて受験とはもう無縁になっている。
「バイトすんの?」
「暇だしなー。尚はしねーの?」
「……短期のってあるかな」
俺はまだ試験結果が出来ていないけど、興味があって覗き込んだ。
「そーだなぁ、大学遠いもんな」
バイト先近所だと、と有村が紙面に目を走らせながら他意なく笑う。
「でも大学入ってからもなんかするんだろ?」
「……ああ」
できるだけ、少しでも―――金を貯めておきたいから。
ぼんやりとこれから先のことを考え、ため息が出かけた。
それをなんとか飲みこんで紙面を読み始めた。