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小説の向上のさせ方について
日時: 2011/03/25 02:10:58
名前: toresebu
参照: http://www.eonet.ne.jp/~vtr00/

まず東北関東大震災にご被災の方にはお見舞い申し上げます。

それで、最近静かな同盟に、少し一石を投じてみたいと思います。

オフの方で、文芸系のサークルに所属しておりまして、発行する部誌に対して、小説を読み合って反省を言い合う機会があります。
このとき、その小説に対してどういう観点で見ればよいのか(寧ろ思い切って、この反省を言う機会をどう行えばいいか)ということが度々話題になるのですが、この話が終始することがないわけです。
そこで、同盟の皆様方にご意見を頂戴したいなと。

そもそもどういう目的でこれが行われているのかということは特に定められていません。
これは作者の作品を書く意図にも関わるかと思いますが、その点も含めて、ご意見頂ければ幸いです。

なお、頂いた意見はオン(恐らくTwitter上)オフ含め、他のところで紹介させて頂くことがあるかもしれないので、予め断っておきます。
メンテ

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Re: 小説の向上のさせ方について ( No.1 )
日時: 2011/04/03 08:40:32
名前: 紅月赤哉

どうもー。第三期な紅月赤哉です。
文章読む限り、「反省会で何をやったらいいか分からない」と読めるので、その観点で一つ。

反省内容としては

1.読み手が読んだ作品に対して「どういう話だった」「どうだった」とまず感想を言う。

2.書き手が「この作品はどういう意図で書いたか」を軸にどういう風に書いたとか、反省を述べる。

3.書き手の意図が読み手に伝わったかという観点で、今度は批評をする。

こんな順序でしょうか。

少しでも参考になりましたら、幸いです〜
メンテ
Re: 小説の向上のさせ方について ( No.2 )
日時: 2011/04/03 15:14:10
名前: toresebu
参照: http://www.eonet.ne.jp/~vtr00/

一応、括弧内はおおよそ自分の考えるところですと断っておきます。

親スレの作品を書く意図というのは”何故小説を書くのか”ということです(作品というのが、単体なのか集合なのかについて明記しなかった点については至りませんでした)。
まずこの点について一考してみます。

仲間内で幾らか話し合って、人によって作品を書く目的が違い、反省会も人によって求めているものが違うだろう、という結論に達したことがあります。
それで、おおよそ、
1. 書いて満足
2. セミプロ志向
3. プロ志向
という風に大別できるだろう、ということになりました。
”書いて満足”というのは、原稿を出すのが目的とか、書きたいように書いているだけで伸ばそうという意志がないとか、感想は欲しいけれど批評は必要としない、とかです(これは私の偏見かもしれませんが、概ね重視するものが偏っている人・手広い視点で小説を書かない人に多い気がします)。
”セミプロ志向”というのは、自分の小説を書く力を伸ばしたいけれど賞に応募したいという意志はない、趣味として好きだからもっと上手く書きたい、という感じです。
”プロ志向”というのは言わずもがな、プロを目指すかそれ相当の実力を身につけたいという感じです(もっともプロといってもラノベ、純文学の差異がありますし、これはもっと細分化することができ、されるべきだと思います。具体的に言えばどの賞に応募することを目的にしているのか、ということです)。
この同盟も、小説に書ける志は、斯様に玉石混淆といった状態かと認識していますが……。

それで、自分がどういった志を持って小説を書いたのか予め主張した上で反省会をしようということになりました(この時点で、反省・批評を行うにあたって軸となるようなものは、1の人には希薄だと思います。もはや”反省”会である必要性を感じません)。

するとどうなるか。
反省会での読み手は、書き手でもあるわけで、自分以上の実力をもっている人、若しくは向上心を持つ人に対して批評の目が持てない、結果として誤字、言い回しの修正、指摘に留まるということになります(もっと言えば批評とは何なのかということでもあります)。
加えて部誌は月刊なので、連載ものに対しては全体像が見えないまま指摘をしなければならないという難しさもあります。
本来ならばプロットの段階で話の流れのレベルでこうするべきだという指摘をするべきなのではないかと考えるのですが、実際問題これは難しいことです(プロットを書けない、書かない人もいますし……)。

反省会の在り方についてどうこうと考えて意見する人は概ね3の人です。1の人はそういう反省会の在り方について無関心です(そもそも”反省”される必要性を感じているのでしょうか)。

斯様に意識の差は埋まりませんし(元々サークルそのものが緩いので幽霊部員も多いです)、批評の視点の持ち方にも差異があって小説をどう見ればいいのか迷走している次第です。
これで部員に画一的な反省会をしようというのは無理な話だと思います。
3の志向の人は、烏合の衆である場所ではなくて、「小説家になろう」のような目的のはっきりしている場所で行えばいいのではないか、と思ったりもしますが、そうするとじゃあ反省会の意義は何なの?ということになります。
そういうことで、どうすればいいのか、という話なのです。

↓続きます
メンテ
Re: 小説の向上のさせ方について ( No.3 )
日時: 2011/04/03 15:12:13
名前: toresebu
参照: http://www.eonet.ne.jp/~vtr00/

”何を意図して(その作品を)書いているのか”ということについては、
・自分の考えたキャラクターを動かしたい(登場人物が勝手に動いて話を作ってくれた、という人はここでしょうか)
・特定のもの(テーマ、メッセージ、シチュエーション、場所、時代、組み合わせ(CPとか)、比喩・暗喩(故事成語とか)など)を書きたい
ということかと思います。
両方バランスよく持ち合わせるのがベストだと思いますが、片方しか持ち合わせていない人もいると思います(私個人はシチュエーションで書くタイプだと自認していますが、正直前者の人とは相容れないところを感じています)。

余談ですが、キャラクターを動かしたいというのと、CPを書きたいというのは似て非なるものです。
CPの場合は、BLの〇〇攻め、〇〇受けのような感じです。こういう性格の登場人物とこういう性格の登場人物ならこうなる、ということでしょうか。若しくは恋愛で言うなら歳の差カップルとか、異種カップル、ロボットと人間の恋、とかでもいいです。

閑話休題。
反省会においてその名目から一番度し違いのは自己満足で書いている人たちですが、だからといって反省会において無視すればいいというわけにもいきません(サークルとして活動している限り画一的に反省会に作品としてあげるべきだと考える人たちもいるわけです)。
とはいえ、温度差は拭いきれません。結果として人によってはそういう人たちの話はそもそも読んでこないということになったりします。自己満足ですから、言うだけ無駄ということになるのも、読む側が無駄だと考えるのも仕方のないことです。
しかし比較的簡単に指摘できるのは、こういう自己満足で書いている人たちです。先に言うような誤字脱字言い回し、ひいては文章の書き方等に無頓着な人が多いですから。そういうところで時間や労力が使われてしまうのも勿体ないところです。

↓続きます
メンテ
Re: 小説の向上のさせ方について ( No.4 )
日時: 2011/04/03 15:13:44
名前: toresebu
参照: http://www.eonet.ne.jp/~vtr00/

”(作品に込めた)意図が伝わるかどうか”という点について一考してみます。
日本人としてもっとも小説について深く考える機会は、学校の国語の時間だと思います。しかし国語の時間では小説そのものについて論じても、作者が何を意図してその話を書いたのかということにはほぼ触れません。かの有名な”走れメロス”などは”友情”のように見えますが、最後の王様を許容したのは果たして友情でしょうか。それとも融和でしょうか。
ああいった描写をした限り太宰治が何かを意図して書いたはずですが、国語の授業では作品そのものを読みといても作者の意図まで読み解く機会はありません。作者の自伝やエッセイ、随筆、周辺の人に漏らした話に触れた上で、どういう意図で書かれたのかと論じてもいいはずですが、そういった機会はありません。
何が言いたいのかというと、作者の意図は作品にとってどれほど重要なのかということです。話を個々人がどう解釈するかは自由ですし、作者自身も伝えたいことがあったとしても解釈が分かれることは分かっているでしょう。また伝わるように伝えたいということもあるでしょう。
伝えたいように伝わっていないことを気にする人は、伝えたいように伝えることが目的だったと言えます。そういう人はそういう観点で作品を修正すればよいと思いますが、読者に任せた!という人はどう反省すればいいのでしょう?そもそも意図という観点で反省する意味がありますか?
逆に、読む側にとっても作者が何を意図したのかは読者としてそれほど重要ではなく自分はこの作品からこういう印象を受けたということが重要で、その点については作者が反省をする必要があるとは考えていないということもあります。
国語教育は解釈は人によって分かれるはずなのに答えが一択になるのはおかしい、と論じる人がいることから前述のことも分かる話かと思います。
そもそも作者は意図するところを伝えたいと思って書いているのか、読者は作者の意図を読み解きたいと思っているのか、その意図が伝わることをどの程度重要視して話を書いたり読んだりするのか、ということでしょうか。

もっと言うと、書いている側が上で上げた事柄についてどうしたいのかという考えを持っていない場合もありうると思います。
好きだから書いている、だからそれでよくて、反省会の意義とかそういったものに頓着していない、とか。

もはや全体で行う意味がないですよね、と書きながら思えてきました。それを言っちゃお終いよというものですけどね。
さて、どうしたものでしょう?
メンテ

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